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29 死にぞこないの隊

 
 東国の夏は長い。一年の半分以上が灼熱の季節に支配されており、もう九月に入ろうというのに未だ熱風のような湿った空気が大気を満たしていた。ただ、じっとしているだけなのに額からは水滴のような汗がぽつぽつと滲み出てくる。コメカミを伝っていく汗を手の甲でぞんざいに拭いながら、葛之宮は城壁見張り台から視線を巡らせた。
 
 
 臼長井基地から数キロ離れた場所に、つい半月前まで存在しなかった巨大な要塞が築かれている。臼長井基地と向かい合う位置に、まるで威嚇するかのように存在するそれは西国の駐軍基地だ。
 
 うず高く積まれた石壁の上には、西国軍の象徴である純白の旗が立てられている。純白の旗が太陽の光に透ける度に、キラキラと鮮やかに煌めく。光を通すと、極細の金糸で縫い込まれた鷹の絵が浮かび上がるのだ。その国力の強さを示すような煌めきが酷く眩しかった。
 
 言外に『お前達などいつでも踏み潰せるんだぞ』と通告されているかのように思える。事実そうなのだろう。こうやって臼長井基地の真向かいに基地を立てる意味は、明らかな威圧的態度でしかない。もしくは『攻撃できるものならしてみろ』とこちらを挑発しているつもりか。
 
 それでも、西国軍が臼長井基地を攻撃してくる事はなかった。こちらの出方を探っているところもあるだろうし、あるいは西国軍先兵隊が殲滅されたことを危惧したが故の駐軍なのかもしれない。この半月の間、臼長井基地と西国軍は奇妙な膠着状態を続けている。
 
 
 陽光を反射して威風堂々とはためく敵国の旗を眺めて、葛之宮は小さく息を吐いた。途端、見張り台に立っていた臼長井基地兵士に横目で睨み付けられる。その仲間意識の欠片もない、邪魔者を見るかのような剣呑な視線に心が痛んだ。自分はこんな目に慣れているが、生き残った他の兵士達が同じような目で見られているのかと思うと何とも悲しかった。
 
 金田中尉率いる小隊が臼長井基地に辿り着いて、既に二十日が経過しようとしていた。
 
 
 
 
 
 西国軍先兵隊を殲滅して、ようやく味方基地で少しは落ち着けるかと思っていた葛之宮の予測は即座に裏切られた。臼長井基地に辿り着くなり、金田中尉と葛之宮は会議室に閉じ込められ、小笠原大佐を筆頭とした幹部達に詰問されるという事態に陥った。
 
 特に声を荒げて金田中尉を弾劾したのは、臼長井基地で副官を務める岸本少佐だ。野戦服を身につけた岸本少佐の身体は、泥や草葉にまみれていた。おそらくこの男が援軍の指揮官だったのだろう、と葛之宮は思った。だが、その予想も岸本少佐の喚き散らす声で即座に違うという事が解った。
 
 
 何故、金田中尉が臼長井基地の援軍を率いて来たのか、その理由を聞いた時は、葛之宮も耳を疑った。まさか臼長井基地から派遣された指揮官、岸本少佐を背後から奇襲し拘束した上で、援軍の指揮権を強制的に奪い取っただとは思いもしていなかったからだ。岸本少佐はその後戦闘が終わるまで、後ろ手をふんじばられたまま一晩中森の中に転がされる羽目になった。
 
 勿論岸本少佐は、金田中尉よりもずっと階級が高い。自分よりも高い地位の相手から指揮権を略奪するなど、徹底的に縦社会な軍隊において許されるはずもない。勿論処罰は免れないだろうし、下手をすれば軍法会議に掛けられて刑に下される可能性もあり得る。
 
 
 口髭に蟹のように泡を飛ばして叫ぶ岸本少佐は、頻りに金田中尉を厳罰に処すように訴えた。その時の金田中尉の薄笑いを、葛之宮は今でも思い出す。
 
 
「我々は同胞を救うために、決死の覚悟で援軍に参ったのだ! あの鬼畜生にも劣る西国軍共を駆逐するため、命を賭けて! たかだか二十人もいない貴様ら小隊を助けるためにな!」
 
 
 鼓膜の内側でキンキンと反響する岸本少佐の喚き声。まるで癇癪を起こした女のような金切り声がコメカミに突き刺さるようで、葛之宮は微かな偏頭痛さえ覚えた。それでなくとも、その時は三日間以上まともな睡眠すら取っていなかったのだ。全身は血と汗にまみれ、疲労は極限まで蓄積されていた。
 
 
「貴様は自分が何をしたのか解っているのか! 味方の指揮官を縄でふんじばって、援軍の指揮を奪い取るとは何事か! 慈悲深き天子様だろうとお許しはしない蛮行だ! 万死に値する!」
 
 
 古めかしい脅しの言葉を叫びながら、岸本少佐が金田中尉を睨み付ける。声高に罵る岸本少佐の言葉に、金田中尉は不意に頬をぐにゃりと歪めて嗤った。明らかな侮蔑の嗤いだった。
 
 
「私の隊を見殺しにしようとした貴方が一体何を言う」
 
 
 その一言に、糾弾の場だった会議室の空気が一気に凍り付くのが解った。それまで半ば虚脱したように椅子に腰掛けていた金田中尉が机へと身を乗り出す。
 
 
「貴方は私の隊が全滅して西国軍が油断したところで奇襲を掛け、自分達は一切犠牲を払わず手柄だけを独り占めしようとしていた。私が何も聞いていないとでも思っているのか。貴方と貴方の部下が突撃の時機を見計らって、私の隊が死ぬのがまだかと話していたのを私は知っている。何ならここで一字一句違わず再現して差し上げましょうか?」
 
 
 口調は穏やかながらに、憎悪に満ち満ちた鈍い声音だった。仰々しく両腕を広げる金田中尉に、岸本少佐が狼狽の色を滲ませながらも声大きく喚き返す。
 
 
「い、言いがかりを…よくもそんな大ボラを吹きよって! 我々がそのような畜生な真似をするわけがあるまい!」
 
 
 その言葉に、金田中尉が目を剥く。見開かれた眼球が極度の怒りに一気に血走るのが見えた。会議室の机が激しい音をあげる。金田中尉が拳で机を殴り付けていた。
 
 
「恥を知れ、少佐! 私の隊を、私の部下を『死にぞこない』と言った事を忘れたか! ここまで死ぬ思いで戦ってきた兵士達をよくも見捨てやがったな!」
 
 
 不意に金田中尉が弾けた。座っていた椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると、岸本少佐へと至近距離まで顔を近付けて吼える。岸本少佐が怖じ気付いたように身体を仰け反らせるのが見えた。
 
 
「何が天子様の名の下にだ。甘言ばかりを吐いて、貴方がやった事は西国軍以上に卑劣な行為だ」
「き、貴様…誰に口をきいていると…」
「処罰なら下せばいい。軍法会議にかけるなら勝手にしろ。ただ、私の隊の前で同じことがいえるか。貴方が死にぞこないと罵った私の部下の前で、彼らを見捨てていないと言えるのか。貴方の言う天子様の名に誓って」
 
 
 岸本少佐の左胸へと人差し指を突きつけて、金田中尉は憎悪を噛み締めるように呟いた。岸本少佐の唇が微かに戦慄く。怒りとも怯えともつかない震えだった。
 
 結局、岸本少佐は口篭もったままそれ以上何も言わなかった。金田中尉の処罰は本隊の決定を待つものとする、というその場しのぎな結論だけ出して、結局詰問はお開きとなった。
 
 
 
 
 
 その後、金田中尉率いる小隊は、本隊からの指示を待つ間、臼長井基地に駐在する事となった。
 
 金田中尉が援軍の指揮を奪った事は臼長井基地全員が知る事となったのか、葛之宮らに対する当たりは厳しい。それも当然かもしれない。臼長井基地兵士からしてみれば、葛之宮らが生き残った代わりに自分達の仲間が死ぬ羽目になったのだから。
 
 
 外には西国軍、中では味方からの冷たい眼差し。こうも居心地の悪い生活が続くと、流石に気も滅入ってくる。それでも、あの生き死にがかかった戦場に戻るよりかはずっとマシだったけれども。
 
 
「少尉殿、昼食の時間です」
 
 
 見張り台の下から、一人の兵士が葛之宮へと向かって声をあげる。奇襲の際、葛之宮に「死にたくないです」と訴えた若い兵士だ。あの時から、随分と葛之宮に懐いてくれている。
 
 
「はい、今行きます」
 
 
 答えて、見張り台から降りる。その際、臼長井基地兵士に「穀潰しが」と吐き捨てられた言葉は聞かなかったフリをした。
 
 

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Published in 地平の戦争

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