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30 追う者と追われる者

 
 昼食の場へ向かう途中で、アサトと苗代兄弟の姿を見かけた。演習場の木の上を飛び回る苗代兄弟を、アサトが地面を走って追い掛けている。必死なアサトの姿に反して、苗代兄弟は完全に子供との鬼ごっこを面白がっている様子だ。木の上を跳ね回りながら、きゃっきゃっと楽しげな笑い声をあげている。
 
 
「いーつになったら、つかまえるーぅ?」
 
 
 小馬鹿にするような苗代の声に、アサトがらしくもなく悔しそうな表情を滲ませた。荒い息を付きながら、頭上の苗代兄弟を睨み付ける。
 
 
「何をしているんですか?」
 
 
 近付いて問い掛けると、苗代の片割れがはしゃいだ声をあげた。その片割れに反して、もう一人の苗代は葛之宮からふいっと視線を逸らしてしまう。おそらく視線を逸らした方が苗代かずらだろうと葛之宮は予測をつけた。うずらが声高々に答える。
 
 
「どれいいびり!」
「奴隷いびり?」
「せんぱいが、このガキきたえろっておれらにあずけた。だから、こいつはおれらのどれい!」
 
 
 その無茶苦茶な理論に唖然としてしまう。預けられたら奴隷というのは一体どういう理屈だ。
 
 うずらがヒャッヒャッと不気味な笑い声をあげて、真下に立つアサトを見下ろす。アサトが悔しそうに下唇を噛んで、木によじ登ろうとその樹皮へと爪を突き立てる。だが、ようやく半ばまで木を登れたところで、かずらに頭頂部を蹴り付けられて地面へと叩き落とされた。地面へと盛大に背中を打ち付けたアサトへと慌てて駆け寄る。
 
 
「だ、大丈夫?」
 
 
 心配する葛之宮の声に、アサトは答えない。無言で上半身を起こすと、憎々しげに苗代兄弟を睨み上げた。枝をギシギシと揺らしながら、苗代兄弟が口々に声をあげる。
 
 
「おっせーよ、ばぁか。そんなんじゃ、のぼってるあいだに背なか刺されておわりだ」
「おわりだー!」
「のろま」
「のろまー!」
 
 
 子供っぽい罵りが次々とアサトへと浴びせかけられる。ヒャヒャヒャと笑い声をあげる苗代兄弟へと、葛之宮は苦々しい声をあげた。
 
 
「君達には君達の教え方があるのかもしれないが、だからといって怪我をさせるような遣り方は…」
「いいんだ」
 
 
 言いかけた言葉が遮られる。アサトは身体についた土を払い落としながら、平然とした声をあげた。
 
 
「やられたらやり返せばいいだけの話だ」
 
 
 どこか余裕すら感じさせるアサトの台詞に、苗代兄弟の眉がピクリと跳ねる。苗代兄弟は顔を見合わせると、ひそひそと話し出した。
 
 
「いつになったらやりかえせるのかなーぁ?」
「一生やりかえせねぇんじゃねーぇ?」
「三ヶ月もあれば十分だ」
 
 
 煽り言葉を更に倍にして煽り返す辺り、アサトも性質が悪い。アサトはわざと苗代兄弟の勘に障る言葉を選んでいるようだった。その一言に、苗代兄弟の顔が目に見えて剣呑に尖る。
 
 
「どれいがナマイキなこといってるぞ、うずら」
「しつけがたりねーみたいだな、かずら」
 
 
 そう囁き合う苗代兄弟の声には、普段のような享楽じみた響きはない。苗代兄弟のらしかぬ鋭い眼差しに、葛之宮は微かに狼狽した。だが、アサトは相変わらずの無表情で苗代兄弟を見上げている。
 
 
「なら、躾てみろよ馬鹿兄弟」
 
 
 紛れもない挑発の言葉だった。その瞬間、アサトと苗代兄弟の空気がピンと張り詰めるのを感じた。
 
 
「せんぱいのこどもになるからって、ちょうしにのってんじゃねえぞ」
「生きて、としを越せるとおもうな」
 
 
 脅しの言葉を吐きながら、うずらが怒りに駆られたように折った小枝をアサトの顔面へと向かって投げ付ける。アサトは、その小枝を腕で払い落とした。
 
 
「手前らこそ、いつまでも人のこと奴隷扱いできると思うな」
 
 
 アサトのその一言を皮切りに再び鬼ごっこが始まる。佇む葛之宮を置いてきぼりにして、苗代兄弟が木の上を飛び跳ねて去っていく。その後ろをアサトの小さな背が追いかけていく。葛之宮は慌ててその背に声を張り上げた。
 
 
「怪我をしたらおいで! 手当てはちゃんとするんだよ!」
 
 
 その声がアサトに届いたかは解らない。別れの挨拶もままならぬ内に、三人の姿は視界から消えていってしまった。まるで嵐のように去っていってしまった三人組に、葛之宮は短く溜息をついた。
 
 本当に苗代兄弟がアサトをいびり殺してしまうとは思わないが、一応は気にとめておかなくてはと思う。それでもなくても、金田中尉に執着している苗代兄弟にとって、いきなり現れて仮とはいえ養子の座を勝ち取ったアサトは面白くない存在だろう。殺すまではいかなくても、大怪我を負わせるくらいの事はするかもしれない。
 
 常備している治療薬を増やした方がいいかもしれないと考えながら、食堂へと向かう道を再び歩き出す。寄り道をしたせいか、先ほどよりも空腹感は強くなっていた。用意された食事が冷めない内に行こうと足取りを早める。だが、その決心は三秒後には虚しく挫かれた。
 
 
 不意に、目の前の扉が激しい音を立てて開かれる。それと同時に、開かれた扉から男が蹴り出される勢いで飛び出してきた。その細い身体付きには見覚えがある。南軍曹だ。
 
 南軍曹は、今しがた飛び出した扉の方を見つめて、その唇に薄く笑みを滲ませている。その扉の内側から、上擦った怒声が聞こえてきた。
 
 
「こっ、こんなところで、お前は一体何を考えてるんだッ!」
 
 
 扉の前に立ち尽くした石川曹長が、唇をわなわなと震わせながら泣き出しそうな顔で南軍曹を睨み付けている。その頬は、遠目から見ても明らかなほど鮮やかな朱色に染まっていた。まるで熟れた林檎のようだ、と取り留めのない思考が頭の隅を過ぎる。
 
 
「何を、って言ってもいいんですか?」
 
 
 明らかに狼狽している石川曹長に比べて、追い出された南軍曹は余裕綽々な様子だ。南軍曹が酷くゆっくりとした足取りで、石川曹長へと一歩踏み出す。途端、石川曹長が怯んだように右足を一歩後ずらせるのが見えた。
 
 
「い、言うなっ! 馬鹿者ッ、俺はお前に場所と状況を弁えろとと言っているんだ!」
「でも、以前はさせてくれたじゃないですか」
「あっ、あれは…」
 
 
 言葉に詰まったように石川曹長の唇がはくはくと上下に戦慄く。その様子を眺めて、南軍曹はどこか自嘲するような酷薄な笑みを頬に滲ませた。
 
 
「解ってます。同情ですよね。どうせ数時間後には死ぬと思っていたから」
 
 
 南軍曹らしくない投げ遣りな言い方だった。冷めた声音に、石川曹長の大きな身体が一瞬硬直する。石川曹長を見つめて、南軍曹が寂しげに微笑む。諦念と痛苦が滲んだ、複雑な笑顔だった。
 
 
「でも、残念。生き残ってしまった」
「…残念、だなんて言うな。それは死んだ者に対する冒涜だ」
 
 
 噛み締めるような石川曹長の諫める言葉に、南軍曹が素直に「すいません」と頭を下げる。だが、そのどこか寂寥を感じさせる表情は変わらない。南軍曹が石川曹長を見上げて、ぽつりと呟く。
 
 
「死ねなかった。だから、諦められない」
「やめろ、南」
「ねぇ、秀さん、僕はいつまで貴方の親友の弟でいればいいんですか? 僕では、どうしても駄目ですか?」
 
 
 そう切なげに語り掛ける南軍曹に、石川曹長の顔がくしゃくしゃに歪んでいく。南軍曹がふっと息を吐き出すように微笑んで、右手を石川曹長の頬へと向かって伸ばす。南軍曹はまるで壊れやすいものでも触れるかのような手付きで、そっと石川曹長の頬を撫でた。触れる指先一本まで、愛おしさに満ち溢れている。石川曹長が淡く息を吐き出す。甘い、吐息だ。
 
 
 その光景を、葛之宮は半ば茫然自失のまま眺めていた。ようやく正気に戻ったのは、石川曹長と目があった瞬間だ。葛之宮の姿に気付くと、それまで乙女のように蕩けていた石川曹長の顔が一瞬で引き攣った。石川曹長の目尻がピクピクと二三度痙攣した次の瞬間、南軍曹の身体が盛大に突き飛ばされる。それと同時に、わざとらしい大声が放たれた。
 
 
「かっ、顔に虫が止まっていたのか! は、払ってくれて悪かったな南! それにしても、有意義な作戦会議ができたなっ! ほっ、本当にいい話し合いができたっ! あぁ、もうこんな時間じゃないか! お前も腹が減っただろう! そろそろ食事に行ってはどうだ!?」
 
 
 畳み掛けるように叫ぶ石川曹長を、床に尻餅をついた南軍曹が唖然と見上げている。だが、葛之宮の姿に気付くと、途端南軍曹ははぐらかすような曖昧な笑みを浮かべて肩を竦めた。見つかっちゃいましたか、とでも言いたげな表情だ。
 
 
「…そうですね。それでは、お言葉に甘えて、僕は食事に行ってきましょうか」
「お、おぉ、行ってこい!」
「石川曹長、その作戦については、また後ほどじっくり話し合いましょう」
 
 
 そう言って、にっこりと微笑む南軍曹に先ほどの切なげな様子は欠片も窺えない。南軍曹の意味深な台詞に、石川曹長の顔面が再びぎこちなく引き攣る。
 
 ゆっくりと立ち上がった南軍曹が葛之宮へと黙礼をして立ち去っていく。葛之宮はその後ろ姿を呆然と眺めていた。そのままぼんやりと立ち尽くしていると、酷く萎縮した声が聞こえてきた。
 
 
「しょ、少尉殿…」
 
 
 顔を真っ赤にして俯いた石川曹長が泣き出しそうな表情で葛之宮を見つめている。葛之宮は一瞬しまったと思った。何気ないふりをして、さっさとこの場から立ち去るべきだった。
 
 
「な…何か聞かれ…」
「こんな時まで、きちんと作戦会議をされるなんてお二人とも流石ですね。本当に頼りになります」
 
 
 石川曹長の言葉を途中で遮って、早口で言い放つ。自分は何も聞いていない、見ていない、とひとまず先手を打っておく。本当は二人の性交も見てしまっているが、それを口にしてしまえば目の前の真面目な下士官は羞恥のあまり舌を噛み切ってしまいそうな気がした。
 
 石川曹長は、冷汗を滲ませる葛之宮を疑わしげに見つめていたが、暫くすると安堵したようにふっと息を吐き出した。
 
 
「さ、作戦会議も、重要な任務の一つですので…」
 
 
 後ろ頭を掻きながら、石川曹長がたどたどしく呟く。どうやら上手くはぐらかされてくれたようだ。葛之宮も、石川曹長に気付かれないように安堵の溜息を吐き出した。
 
 
「あの、曹長は食事に行かれないんですか?」
 
 
 ふと問い掛けると、石川曹長が目に見えて狼狽した。両手をわたわたと動かしながら、葛之宮から露骨に視線を逸らす。
 
 
「はっ、はい、今は…腹も減ってなくて……なので、もう少し後に行こうかと…」
 
 
 その上擦った声音だけで嘘だと解った。嗚呼、今行くと南軍曹と鉢合わせて気まずいからだなと把握する。石川曹長の解り易すぎる反応が妙に微笑ましくて、葛之宮は淡く微笑んだ。石川曹長は葛之宮の微笑みをぼぅっと眺めてから、ふと意を決したように声をあげた。
 
 
「少尉殿、もっ、もし、お時間があるようなら、少しお話できませんでしょうか? ご、ご相談したいことがあるのですが…」
 
 
 石川曹長の思い詰めた声音に、葛之宮は酷く驚いた。数回目を瞬かせて、緩く首を傾げる。
 
 
「僕に、ですか?」
「だ、だめでしょうか?」
 
 
 しょんぼりと項垂れる石川曹長の姿に、奇妙な罪悪感が湧き上がってくる。まるで捨てられた子犬を置いてきぼりにする気分だ。
 
 
 頭の中で、二人の自分の声が聞こえる。一人の自分は『聞くな。面倒ごとに巻き込まれるぞ』と葛之宮を諭し、もう一人は『聞くぐらいいいじゃないか。大事な仲間を見捨てるのか?』と葛之宮を諫めてくる。数秒の逡巡の後、葛之宮はぐっと息を呑んで、それから腹を括った。
 
 
「僕で良ければ」
 
 
 その一言に、石川曹長の顔が目に見えて明るくなる。昼食を取れるのは、まだ暫く後になりそうだと葛之宮はぼんやりと考えた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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