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32 天道光一

 
 停滞していた事態が動き始めたのは、それから一週間後だった。東国軍本隊から臼長井基地へと将校が派遣されてくるという報告があった。来訪するのは随分と階級の高い将校らしく、基地責任者である小笠原大佐ですら浮き足だった様子で基地入口をうろうろと歩き回っている始末だった。
 
 
 その報告を受けた時、葛之宮は戦慄した。本隊から階級の高い将校が来るという事は、とうとう金田中尉の処罰が決められるのだと思ったのだ。金田中尉が岸本少佐を襲い、援軍を奪い取った事は、臼長井基地内では既に公然の事実として語られている。金田中尉は擦れ違う度に臼長井基地兵士から裏切り者とひそひそと罵られていたが、本人は陰湿な罵りなど気にも止めていない様子だった。だが、それも本隊からの処罰が来るまでの話だ。上官に対する抗命、襲撃拘束したというのは決して軽い罪ではない。下手をすれば、銃殺に処されても文句は言えない。
 
 
 会議室へと金田中尉と二人で呼び出された時も、葛之宮は不安を隠せなかった。青褪めた顔のまま、とぼとぼと処刑台へと連れて行かれる罪人のように廊下を歩く。そんな葛之宮に反して、金田中尉は徹底して無表情だった。背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま、葛之宮を置いてきぼりにするように大股で会議室へと向かう。そんな金田中尉の様子を見ていると、悔しさにも似た感情が込み上げてきた。
 
 
 葛之宮がこんなにも不安だというのに、当の本人は自分の処罰など丸っきり他人事だと言わんばかりに飄々としていて……馬鹿馬鹿しい。どうして自分がこんなにも金田中尉の心配をしているのだろう。こんな傲慢な男が処刑されようがどうだっていいじゃないか。
 
 
 そう頭の中で独りごちて、下唇をぎゅっと噛み締める。だが、考えとは裏腹に不安は募っていくばかりだ。会議室まで後数十メートルのところで不意に足が動かなくなる。突然立ち止まった葛之宮を、金田中尉が怪訝そうに振り返る。
 
 
 「どうした。足を止めるな」
 「金田中尉」
 
 
 思い詰めたような葛之宮の声音に、金田中尉が眉を顰める。その不遜な顔付きに、微かな憎々しさと共に言葉では言い表せないもどかしさに似た感情を覚えた。どうしてだか、この傲慢な男を失いたくなかった。
 
 
 「もしも、処刑が命じられても、僕が中尉を逃がします。必ず助け出します。貴方をこんな所でむざむざと死なせたりはしません。僕の命をかけて、お約束します」
 
 
 突拍子のない葛之宮の一言に、金田中尉が一瞬面食らったように数度瞬く。それから、その口角に嘲りの笑みを滲ませた。鼻でふっと嗤うと、金田中尉は面倒くさそうに呟いた。
 
 
 「簡単に命をかけるなどと口に出すな。余計に安っぽく聞こえる」
 「本気です。貴方を死なせたりしません」
 「馬鹿か、お前は」
 
 
 そう短く言い捨てると、金田中尉は葛之宮を置いて、再び歩き出した。数度扉を拳で叩いた後、会議室の扉を大きく開く。葛之宮は慌てて、金田中尉に続いて会議室の中へと入った。
 
 
 
 
 
 
 会議室の机を取り囲むようにして、臼長井基地将校達が座っている。小笠原大佐と岸本少佐を筆頭として、その他の大尉、中尉達も皆緊張の面持ちで椅子へと腰掛けていた。その上座に鎮座する男を見て、葛之宮も咄嗟に背筋を伸ばした。
 
 
 のっぺりとした細面、細長い目に銀縁の丸眼鏡を掛けた男がそこに居た。その男は、銀糸で縫われた黒い着物を身に纏っている。その銀色の腰帯には、東国軍の国獣とされる八咫烏が黒糸にて縫い込まれていた。国獣を身につける事を許されているのは、この国ではある一族だけだ。
 
 
 「膝をつけ! 天子様の甥にあたられる天道光一様であるぞ!」
 
 
 小笠原大佐の悲鳴にも似た金切り声に、葛之宮は慌てて床に膝をついた。隣でしぶしぶといった感じで金田中尉が膝をつくのが視界に入る。葛之宮は頭を垂れたまま、とにかくこの事態を把握しようと頭を回した。
 
 
 天子様の甥ということは、この男は天子様のご兄弟の息子という事になる。つまりは、東国にとっての神である天子様に最も近しい皇族ということだ。伯爵家の息子である葛之宮でも、一生お会いできるかどうか解らない雲の上の人物。東国の頂点に立つ天道一族の一人が何故こんな辺境の基地に居るのか。一体何の為にやって来たのか。思考は空回るばかりで上手く纏まることはない。
 
 
 俯いたままでいると、どこか胡散臭さを感じる笑いを含んだ声音が聞こえた。
 
 
 「構わないですよ。金田中尉に葛之宮少尉でしたか。どうぞ椅子にお座りくださいな」
 
 
 下座に位置する椅子へと腰掛けるように促される。天道は漆黒の扇子で緩やかに顔を仰ぎながら、にたにたと笑みを浮かべて金田中尉と葛之宮を眺めている。どこか値踏みをするような視線だ。金田中尉は、その視線に憮然とした表情を滲ませた。不愉快さを隠そうともしていない。金田中尉が口を開く。
 
 
 「何か御用ですか? こんな下位将校に対して、貴方のようなお偉い方が用事があるとも思えませんが」
 「貴様、天子様のご親族に対して何という口の聞き方だッ!」
 
 
 素っ気ないを通り越して不躾な金田中尉の口調に、即座に岸本少佐が叱責の声をあげる。それに対して、金田中尉は岸本少佐へちらりとも視線を向けることもなく、天道へと続けて問い掛けた。
 
 
 「それで、私の処罰はもうお決まりですか?」
 「中尉ッ」
 
 
 淡々とした金田中尉の声音に、葛之宮は思わず声をあげた。咄嗟にその腕を掴むと、金田中尉が鬱陶しそうに目を細める。そうして、金田中尉は耳を疑うような事を述べた。
 
 
 「処刑するのなら、さっさとしろ。銃殺でも絞首刑でも好きにすればいい」
 
 
 その投げ遣りな口調に、葛之宮は唖然と唇を開いた。この人は一体何を言っているんだ。
 
 広げた扇子で口元を隠して、天道が面白がるような声音で問い掛ける。その細い目は、まるで三日月のようにぐにゃりと湾曲していた。
 
 
 「おやおや、もしや貴方は死にたいのですか?」
 「まさか。死にたい人間なんているものか」
 「それならば、何故自ら処刑を助長するような事を口にするのです?」
 
 
 さぁな、と言わんばかりに金田中尉が肩を竦める。その仕草に、無意識に金田中尉の腕を掴む手が震えた。震えに反して、指先の力は強まっていく。腕に食い込む指に、金田中尉が苛立ったように眉を顰める。
 
 
 「離せ」
 「何を考えてるんですか、貴方は」
 
 
 鋭く命じられた言葉に、葛之宮は怒りに震えた声を返した。自身を睨み付けてくる眼差しに、金田中尉が薄ら笑いを浮かべる。酷薄な表情。
 
 
 「何も」
 
 
 紛れもない拒絶だった。数分前に貴方のために命をかけると言った男を、金田中尉は徹底的に拒否したのだ。葛之宮の必死の思いを、いとも簡単に踏み躙ったのだ。不意に、耐え切れない憎悪が噴き出した。この人は、この男は、自分の命を何だと思っているんだ。
 
 怒声をあげようと唇を大きく開く。だが、それが響き渡る前に、天道の気の抜けた声が聞こえてきた。
 
 
 「ですが、残念ながら貴方を処罰する気はないんですよねぇ」
 
 
 その一言に、大きく開いた口が閉じられなくなった。天道は胡散臭そうな笑みを浮かべたまま、金田中尉と葛之宮を見つめている。天道の言葉に真っ先に反応したのは、それまで黙っていた岸本少佐だ。
 
 
 「そ、そんなっ! こ、この男は少佐である私を襲撃した上に、指揮権を無理矢理奪い取ったのですよ!」
 「それは、奪われる方が悪いのでは?」
 
 
 椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった岸本少佐に対して、天道がにこやかに言葉を返す。その笑顔は、どこか岸本少佐を小馬鹿にしているようにも見えた。岸本少佐がぐっと言葉に詰まる。
 
 
 「で、ですがっ、これは軍法でも許されることでは…っ」
 「ほう、軍法?」
 「はい、軍法第二章第六条に“上官ヘノ抗命ハ死ヲモッテ贖ウベシ”との一文がはっきりと記されておりますっ」
 
 
 意気込んだ岸本少佐がぐっと身を乗り出す。まるで自分の正しさを前面に押し出すような岸本少佐の姿に、天道がうんうんと幼稚園児を相手にするように頷きを返す。その同意を示すような天道の仕草に、岸本少佐の目が輝く。だが、それも一瞬のことだった。
 
 天道は微笑みを浮かべたまま、岸本少佐へとこう問い掛けた。
 
 
 「では、第一章第八条に載っている“同胞ヲ見殺シニセシ者ハ斬首トスル”の一文もご存じですよねえ」
 
 
 その一言に、岸本少佐の顔が一気に強張った。硬直した面をにこにこと眺めながら、天道が和やかに言葉を続ける。
 
 
 「二十名程度の小隊なら見殺しにしても大したことはないと思っていたんですか?」
 「な、何のことで…」
 「探られて困るようなら腹を持っているのならば、そのお喋りな口を閉じた方がいいかと思いますよ、岸本少佐。そうでないと、首を切り落とされるのは…」
 
 
 天道がピンと伸ばした人差し指で、自身の首を左から右へと一文字になぞる。そうして、にたぁりと岸本少佐へと笑いかけた。途端、岸本少佐の顔色がさっと青褪める。岸本少佐は唇をぱくぱくと上下に動かした後、力なく椅子へと座り込んだ。その様子を見て、天道がヒッヒッと不気味な笑い声をあげる。その隠微な笑い声に、葛之宮は微かに皮膚を粟立たせた。この男、身分だけではなく、その中身もかなりの曲者なのかもしれない。
 
 
 天道が笑いを止めて、机へと両肘をつく。組み合わせた両手の甲へと顎を置くと、金田中尉と葛之宮へと親しげな眼差しを向けた。
 
 
 「今日こちらに来たのには、貴方がた二人にお会いしたかったからですよ」
 「私達、にですか」
 
 
 予期せぬ天道の言葉に、葛之宮は大きく目を見開いた。天道が鷹揚に頷く。
 
 
 「では、そろそろ本題に入りましょうか」
 
 
 その声に、隣で金田中尉が苦虫を噛み潰したような表情を滲ませた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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