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35 まるで愛の

 
 結局作戦に参加するか否かの確約もせぬまま、その場はお開きとなった。天道は相変わらずにたにたと不気味な笑みを浮かべて「色好いお返事待っていますよ」と暢気にのたまった。西国軍から宣告された期間まで後一週間しかないのに随分な余裕だ、と葛之宮は悪態をつきそうになるのを何とか堪えた。
 
 
 会議室からの帰りしな、あの若い兵士が声を掛けてきた。どうやら葛之宮が実家へと要請していた品物が本日届いたとの事だった。基地門扉へと届けられた木箱を開いて、葛之宮は落胆した。木箱の中には、葛之宮が最も切望していた『目硝子』が入っていなかったからだ。同封された手紙には、葛之宮の目に合う『目硝子』を作るのには、最低でも後一ヶ月はかかるとの旨が記載されていた。基地についてから、ずっと葛之宮の片目には眼帯がはめられている。この視界の狭い生活を後一ヶ月も続けなければならないのかと、げんなるする思いだった。
 
 
 小さな木箱の中には、葛之宮が送るように頼んでいた書物が数冊積められていた。そうして、書物の下に隠れるようにして金平糖の袋がぽつんと置かれているのを発見した。どうやら馴染みの女中頭が気を利かせて入れてくれたようだ。手紙の末尾には、『時には甘いものをお食べになって、心をお休め下さい』と書かれていた。その温かさに、葛之宮は無意識に頭を垂れた。
 
 金平糖の中身をほんの僅かだけ別袋に分けて、残った方を若い兵士へと渡す。部下達で分けて食べるようにと告げると、若い兵士はパァッと顔を明るくさせた。色とりどりの金平糖を嬉しげに眺める表情は、まだ二十歳にもなっていない子供のものだ。
 
 適当に選んだ本を一冊小脇に挟んで、残りの荷物は葛之宮へとあてがわれた部屋へと届けるように頼む。若い兵士は、はい、と快活な声で答えると、木箱と金平糖を両手に抱えて駆けていった。
 
 
 
 さて、これから金田中尉とどう話したら良いものか。逡巡しながら歩き出した時、ふと背後から「少尉」と呼ぶ声が聞こえた。そこに立っていたのは、松葉杖をついた目黒だ。左足は、膝から下の空間がぽっかりと抜けている。
 
 
「目黒さん、体調はどうですか?」
「特に、良くも悪くもないです」
 
 
 目黒の社交辞令も謙遜もない率直な発言には慣れた。むしろ言葉の裏を考えず、そのままの意味を受け取ればいいだけ気持ちは楽だ。
 
 あんな医療技術のない場所で足を切り落として、術後に化膿したり発熱を起こしたりしないものかと心配していたが、葛之宮の予想以上に目黒は健勝なようだった。片足を無くした目黒を、部下達はよく気遣ってくれていた。その松葉杖も、家具屋の息子だという部下が木材を削って一から作ったものだ。生き残った部下の誰もが、目黒が成し遂げた功績をよく理解していた。
 
 
「悪くないのなら良かったです。傷口はその後痛んだりはしていませんか?」
「毎日鎮痛剤を朝夕二度服用しているので激しい痛みはないです。基地の兵士からは、貴重な薬を消費する役立たずだと毎度罵られてますが」
 
 
 事実だけを淡々と述べるような目黒の口調に、葛之宮は一瞬言葉に詰まった。矢張り臼長井基地兵士の憎悪は、金田中尉や葛之宮だけでなく一般兵にも向けられているのか。それが酷く悲しかった。
 
 
「それは、酷い事を…」
「お気になさらず。自分は気にしてません。隊の皆も自分達が何を言われようと上官殿が気にする事のないようにと言っています。自分達がここで問題を起こせば、責任を取らされるのが誰なのかは皆よく解っていますから」
 
 
 目黒の言葉に、葛之宮は目頭が熱くなるのを感じた。部下達は部下達なりに自分達の上官を守ろうと、周囲から向けられる悪意に耐えている事が解ったからだ。当初の二百名から今では二十数名に減ってしまった隊、その絆は葛之宮が思っている以上に深いものなのかもしれない。
 
 
「それで、少尉にお話があります」
 
 
 突拍子もなく、目黒が呟く。葛之宮はきょとんと目を瞬かせた。
 
 
「僕にですか?」
「はい、話しても宜しいですか」
「勿論です」
「本日、本隊より故郷に戻れとの伝令が来ました」
 
 
 突然の目黒の言葉に、葛之宮は一瞬言葉を失った。固まった葛之宮を見据えて、目黒が言葉を続ける。
 
 
「片足を失って戦えない兵士は不要。療治が終わり次第、即座に除隊し帰還しろとの事です」
「そう、ですか。確かに故郷でゆっくり療養するのが一番かもしれませんね」
 
 
 何とか絞り出した葛之宮の言葉を聞いて、目黒がぐっと眉根を寄せる。何処か不服げな表情だ。
 
 
「自分は除隊するつもりはありません」
「ですが、本隊からの命令を反故にすることは出来ません」
「少尉が、貴方がまだ自分にはやれる事が残っていると言いました。生きる意味があるのだと。自分の生きる意味は、麒麟と共に戦うことです」
 
 
 はっきりと言い切る目黒に、葛之宮は困り果てたように眉尻を下げた。確かに、目黒に生きる意味があると言ったのは葛之宮だ。
 
 
「でも…」
「この基地に皇族が来ていると聞きました。自分が隊に残れるように話してもらえませんか」
 
 
 目黒の申し出に、葛之宮は途方に暮れたように唇を半開きにした。確かに皇族である天道が目黒を残すと一言言えば、上層部の決定を覆すことも可能だろう。だが、本当にそれでいいのか。片足を失った男を、これ以上戦場に残すべきなのか。故郷で穏やかに暮らす方が目黒のためになるのではないだろうか。様々な思いに支配されて、葛之宮の胸中は乱れた。
 
 葛之宮の懊悩を察知したのか、目黒が葛之宮よりも先に口を開く。
 
 
「自分は故郷に戻って反物屋の跡継ぎになる生き方に、一切の生き甲斐を感じません。そんなお仕着せの人生を送るぐらいなら、置き去りにされて死んでいた方がマシだったと思う羽目になる。どうか自分から麒麟を奪わないで下さい」
 
 
 そう語る目黒を、葛之宮はただ黙って見つめた。目黒の心は、既に決まっている。この戦場を、麒麟と共に最後まで戦い抜くと。それこそが自分が生き残った理由なのだと。そう理解した瞬間、葛之宮も決断した。
 
 
「解りました。貴方の除隊を取り消せるか、話は通しておきましょう」
「ありがとうございます」
「それから、義足の作り手を手配しておきます。本土から呼び寄せるので、多少時間は掛かるでしょうが…戦場で片足は不自由でしょう」
 
 
 目黒が無言で深深と頭を下げる。それから、儀礼的な挨拶を数言交わして目黒とは別れる事とした。別れ際、目黒が思い出したように葛之宮へと語りかける。
 
 
「言い忘れていました。少尉が、自分が生きることが希望だと言ってくれた事、とても嬉しかったです。今まで生きてきた中で、一番嬉しかった。命を救って下さって、心から感謝しています」
 
 
 感謝の言葉とは思えないほど淡々とした声音だった。だが、目黒の瞳に深く滲んだ親愛の情を葛之宮は確かに感じ取った。その眼差しに微かな面映ゆさを感じて、葛之宮は照れ臭さを誤魔化すように後頭部を緩く掻いた。
 
 そんな葛之宮を見て、目黒が口元を緩める。二度目に見る目黒の笑顔だった。
 
 
 
 
 
 
 その晩、消灯一刻前に、葛之宮は金田中尉の部屋へと向かった。手にはせめてもの捧げ物として、金平糖の袋と軍法書を一冊持っていた。この程度の物で金田中尉の機嫌が直るとはまったく思えなかったが、何もないよりかはマシだった。
 
 恐る恐る扉を叩く。反応はない。もう一度叩くと、数十秒後、扉が乱暴に開かれた。葛之宮の顔を見た瞬間、金田中尉の表情は露骨に歪められた。それまで眠っていたのか、後頭部の短い髪がぺしゃんこに潰れている。
 
 
「申し訳ございません。お休みでしたか」
「何の用だ」
 
 
 第一声から撥ね除けるような声音だった。後頭部の髪を片手で掻き乱しながら、金田中尉が不機嫌そうに目を細める。放たれる拒絶の空気に心が折れそうになりつつも、葛之宮はぎこちない手付きで金平糖の袋を金田中尉へと差し出した。
 
 
「実家から送られてきたものですが、もし宜しければ中尉も召し上がらないかと思いまして」
「お前は、俺を餌付けするつもりなのか?」
 
 
 金平糖を眺めて、金田中尉が揶揄するように吐き捨てる。葛之宮は慌てて首を左右に振った。
 
 
「まさか。そんなつもりはありません」
「だろうな。お前に賄賂を渡すような知恵があったら、今頃こんな死に損ないの隊には残ってなかっただろう」
 
 
 ふふんと金田中尉が鼻で嗤う。葛之宮は眉を下げて、困ったように金田中尉を見つめた。葛之宮の眼差しを受けて、金田中尉が鼻梁に皺を寄せる。
 
 
「英雄云々の話で来たなら、とっとと失せろ。胸糞悪い。あの狐野郎にも言ったように、俺は他人の命がどうなろうが興味がない。何の罪もない村人が何百何千人殺されようが、お優しいお坊ちゃんとは違って俺の胸は欠片も痛まねぇよ」
「本当に、そうですか?」
「あ゛ぁ?」
 
 
 無意識に疑問符が口から零れていた。それに対して、金田中尉が不愉快極まりない声音をあげる。壁に片肘をついて、金田中尉は葛之宮の顔をぐっと覗き込んだ。
 
 
「お前は一体俺に何を期待しているんだ? 俺が本当は清廉潔白な指揮官であるとでも? 自分の命を捨ててでも、他人を助けようとする自己犠牲の人だとでも思ってるのか?」
「そんな事は思っていません」
 
 
 まるで因縁でもつけるような金田中尉の言葉に、葛之宮は眉を顰めた。一瞬視線を伏せてから、訥々と語り始める。
 
 
「貴方は、合理的な指揮官です。切り捨てなくてはいけないものを切り捨てる事に躊躇しない人だという事も理解しています」
「解っているなら、どうして此処に来た」
「ただ、助けれるかもしれない命を易々と見捨てる人でもないと思っているからです」
 
 
 葛之宮の愚直な言葉を、金田中尉は何処かぽかんとした表情で聞いた。暫くの沈黙の後、金田中尉が呆れたように呟く。
 
 
「お前は何処まで馬鹿なんだ。脳味噌にボウフラでも湧いてるんじゃねぇのか」
「馬鹿馬鹿言わないで下さい。僕だって傷付きます」
「傷付けよ。ずたずたに傷付いて、俺に構わないようになってくれりゃ万々歳だ」
「嫌です。僕は貴方が――」
 
 
 そこから言葉が出なくなる。不意に、自分が何を言おうとしたのか理解出来なくなった。
 
 
 僕は貴方が――その続きは?
 
 
 唇が半開きのまま数度ぱくぱくと無意味な開閉を繰り返す。そんな葛之宮を見て、金田中尉が訝しげに顔を歪める。葛之宮は咥内に溜まった唾液をごくりと嚥下して、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 
 
「貴方は、僕の直属の上官です。どれだけ中尉が僕の事を嫌っても、僕は絶対に貴方から離れません」
「今すぐ部下の転属を申し出たいところだな」
「どうぞお好きなように。上層部から受けの悪い貴方の言い分がどこまで通るか、この機会に試してみたらいかがですか」
 
 
 平然と言い返す葛之宮に、金田中尉が憎々しげに歯噛みする。 
 
 
「可愛げのねぇ部下だな」
「貴方に可愛いなんて思って頂こうとは思いません」
「貴族のお坊ちゃんが随分と口が達者になったもんだ」
「中尉の傍にいれば、誰だってそれなりに変わります。それに、いい加減僕をお坊ちゃんと呼ぶのはやめて下さい」
「お坊ちゃんはお坊ちゃんだろうが」
「僕には、葛之宮文紀という名前があります」
「そうですか、文紀お坊ちゃん」
 
 
 小馬鹿するような金田中尉の声音に、一瞬腸が煮えたぎるような怒りを覚えた。右手を伸ばして、金田中尉の肩をきつく掴む。途端、金田中尉の目尻が神経質に引き攣るのが見えた。
 
 
「子供みたいな事を言うのはやめて下さい」
「生憎、育ちの良いお坊ちゃんとは違って、俺のような盗賊上がりはまともな学を受けてないんでな」
「貴方が僕を邪険にするのは出自のせいですか? 僕が貴族の生まれだから…」
「はっ、馬鹿か」
 
 
 冷たく吐き捨てられた言葉に、熱せられた頭の中が一瞬真っ白になる。金田中尉の肩を掴む手に力が篭もる。背後から扉が締められる音が聞こえた。気付けば、金田中尉の身体を閉じられた扉の内側へと押し付けていた。床に金平糖の袋と書物が転がっているのが見える。金田中尉が憎しみの篭もった眼差しで、葛之宮を睨み付けていた。そうして、鈍く押し殺した声音でこう言った。
 
 
「俺がお前を嫌うのはな、お前の全部だよ。お前の何もかもが気に食わねぇからだ」
「全部では解りません」
「では、今ここで理解しろ。お前が吐く綺麗事も、偽善も、何もかもが俺の神経を逆撫でにする。兵士を数ではなく人間として見ようとする甘っちょろさ、他人の死に涙する感傷、お前が口に出す希望という言葉、すべてが腹立たしく許し難い」
 
 
 金田中尉の唇から溢れ出す言葉を、葛之宮は下唇を噛み締めて聞いた。まるで言葉の刃で全身を滅多刺しにされているようだ。
 
 
「忠義、愛国心、生きる意味、そんなもん糞食らえだ。死んでいく人間にとって、そんな言葉はまったくの戯れ言でしかない。押しつけがましい理想論を言うだけ言って、そのくせお前は戦争ってもんを何も理解しちゃあいない」
 
 
 刃がぶすぶすと心臓に突き立てられる。心臓から血がぢくぢくと滲み出すのを感じる。痛い。苦しい。だが、逃げる訳にはいかない。絶対に、この男からは逃げない。
 
 
「何故軍に入った。何故兵士になった。何故俺の隊に来た。綺麗事を信じ続けたいのなら、お前は戦場に来るべきじゃなかった。死んでいく人間にとって、お前は毒だ。この世界が優しいものだと勘違いをさせる。死に掛けた時に誰かが助けてくれる、傷付いた身体を背負ってくれるものだと希望を持たせる。だが、世界は優しくない。誰も助けてなんかくれやしない。希望を裏切られた時に、より深く絶望するのはお前を信じた人間達だ。お前は自分が希望と同時に絶望をまき散らしていることに気付いていない。その無自覚の悪が俺を苛立たせる」
 
 
 大きく吐き捨てて、金田中尉が葛之宮の胸倉を乱暴に掴む。顔を至近距離まで寄せると、葛之宮の目を睨み据えた。
 
 
「手前みたいな役立たず、とっととくたばれと何度思ったことか。無駄に生き延びやがって、うざってぇことこの上ねぇ。生き残った上に、今度は俺に民の命を救えとでも説教するつもりか? 何様のつもりだよ手前は。さっさと俺の前から失せろ。撃ち殺されたれたくねぇなら、俺の隊から今すぐ出て行け」
「…言いたいことは、それだけですか?」
「あぁ?」
「僕は、撤回しませんよ」
「何だと」
「僕は貴方や部下に言った言葉を、死んだって撤回しません。例え綺麗事だ、偽善だと罵られようとも。僕の言葉が死に逝く者にとっての絶望になるのだとしても」
 
 
 金田中尉の眼球が憎悪に血走る。白目に稲光のように浮かび上がる真紅の血の管に、自分の皮膚がぞわりと震えるのが解る。だが、葛之宮は金田中尉から視線を逸らさなかった。下唇を噛み締めて、真っ直ぐ見据える。
 
 
「貴方が言ってるのは結果論だ。では、貴方は兵士達に何の希望もなく生きていけと言うのですか。どうせ野垂れ死ぬのだから希望など持つなと。貴方の考え方は残酷で、そして不幸だ」
 
 
 たどたどしくも一言一言を必死に紡いでいく葛之宮の様子に、金田中尉が鼻白んだように唇を歪める。
 
 
「こんな戦場で希望を探せとでも?」
「生きていくためには希望が必要です」
「お前の頭はお花畑か何かか? うざってぇ理想論はもう聞き飽きた」
「そうやって、貴方は誰も信じずに独りで死んでいくつもりなんですか?」
 
 
 声音に微かな寂寥が混じった。まるで哀れむような葛之宮の声に、金田中尉が憤怒の形相を浮かべる。
 
 
「そうだ」
「嫌だ」
「は、ぁ?」
「僕は嫌です。貴方を独りで死なせるのは絶対に嫌だ」
「お前は何を言ってる」
「貴方がどれだけ僕を嫌いでも、他人に守られる事に嫌悪を感じていても、僕は絶対に貴方を独りで死なせたりなんかしない」
 
 
 葛之宮の唐突な台詞に、金田中尉が怪訝そうな眼差しでまじまじと葛之宮を見つめる。その目を見つめ返しながら、葛之宮は泣き出しそうな声音で呟いた。
 
 
「僕は、貴方の傍にいたい」
 
 
 希望を抱くことを頑なに拒絶し続ける男。
 他人に守られる事に死以上の恐怖を覚える男。
 葛之宮を憎み、嫌悪する男。
 
 
 それでも、どうしてだろう、この人の傍にいたかった。この人を独りにしたくない。この人を死なせたくない。今この人が死んでしまえば、その人生の跡地には絶望と孤独しか残らない気がした。人間らしい幸福や愛情、あたたかい思い出、そんなものをひとかけらも感じずに死んでいくなんて、あまりにも惨すぎる。闘争と血と死、それだけが人生じゃない。そう目の前の男に訴えかけたかった。
 
 
 葛之宮の感情的な言葉に、金田中尉が嘲るように頬を歪める。
 
 
「お前には被虐嗜好でもあるのか。俺の傍にいて、お前の何になる」
「解りません。ただ、傍にいたいだけです」
「薄気味悪い奴だ」
 
 
 そう吐き捨てて、金田中尉がぐいと葛之宮の肩を押し退ける。床へと落ちていた金平糖の袋と軍法書を拾い上げると、乱暴に葛之宮の胸へと叩き返す。
 
 
「お喋りの時間は終わりだ葛之宮少尉。部屋に戻れ」
 
 
 金田中尉の口から発せられる冷静な軍人の声に、葛之宮は自分の情けなさを自覚させられるようだった。結局論理では金田中尉を説得する事が出来ず、まるで子供のように駄々をこねて…幼稚にも程がある。自分の行動を思い出せば思い出すほど、羞恥心は募っていった。知らず赤くなる頬を隠したくて俯く。
 
 
「それは、中尉に差し上げたものです。不要でしたら、部下に差し上げても結構ですし、捨てて下さっても構いません。お休み中に突然の訪問、大変申し訳ございませんでした。それでは、自分は失礼いたします」
 
 
 視線を床へと落としたまま早口で呟く。これ以上、金田中尉の前には居られなかった。込み上げてくる羞恥心に堪え切れず、金田中尉の部屋から足早に飛び出す。制止の声は聞こえなかった。
 
 
 廊下を、まるで逃げるような足取りで進んでいく。消灯時間を過ぎた基地内は静かで、松明が時折爆ぜる音ぐらいしか聞こえない。見張りに立った臼長井基地の兵士が葛之宮の姿を見て舌打ちを漏らす。今はそんな事を気にかけている余裕もなかった。
 
 
 頬が熱い。羞恥心、悔恨、無様さ、様々な感情が葛之宮の胸の内で暴れ狂った。自分は一体何を言った。どういうつもりで、金田中尉にあんな事を――
 
 そうして、ふと思い浮かんだ思考に、葛之宮は咄嗟に頭を壁に打ち付けたくなった。
 
 
 『傍にいたい』だなんて、まるで愛の告白のようだ。
 
 

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Published in 地平の戦争

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