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37 カルロア少将

 
 沖から吹く潮風が金色の髪をなびかせる。パトリック・ロマノヴィチ=カルロアは、遠く海の彼方に見える小さな黒点へと目を凝らした。
 
 
 そのちっぽけな黒点を見た瞬間、カルロアは『随分遠くまでやって来たものだ』と頭の中で独りごちていた。だが、実際には西国から離れて、まだ十四日ほどしか経っていなかった。戦艦生活も十四日目、海独特の揺れや潮の匂いにも慣れてきた頃だ。
 
 
「東国、黄半島です」
 
 
 甲板隣に立つマリーアン・サム=ライリー、通称サム・リー副官が感情を覗かせない声で言う。男性のように短く刈られた髪の毛と切れ長な瞳は、目深に被られた白い軍帽に隠れていた。手摺りへと掛けられた彼女の軍人とは思えぬ細い指先をちらりと眺めてから、カルロアは朗々とした声を返した。
 
 
「思っていたよりも小さな国だな」
「国土は西国の十分の一にも満ちません。人口は三年前の記録から推察するに、現在では一億三千前後かと。地形は起伏が激しく、何千もの山々が聳え立っています」
 
 
 カルロアについて五年目になるサム・リー副官は、何年経とうとカルロアに対して親しみを持って喋ろうとはしない。ただ、その小さく形の良い頭に蓄積されたデータを淡々と口にするばかりだ。だが、一時の感情に流されないサム・リー副官の冷徹さを、カルロアは好意的に受け取っていた。冷静沈着な副官は、戦場においては何にも代え難い存在だ。
 
 
「山! 山か!」
 
 
 微かな興奮を持って、カルロアは上擦った声をあげた。広大な領土を持つ西国だが、その地形は平坦で、大部分は砂に覆われている。年中湿気のない乾いた空気をしており、雨は年に数えるほどしか降らず、常に照りつける太陽の下に支配されていた。だが、不思議な事に、常に熱射に晒されているというのに、西国人の肌は抜けるように白かった。そして、金色の髪に碧眼。それが西国人の最たる特徴だ。
 
 その特徴を如実に反映させたのが、カルロアだと言っても過言ではないだろう。肩まで伸びた豪奢な金髪は緩やかにうねり、顔は彫りが深く整っている。そして、瞳はサファイアのように鮮やかな蒼色をしていた。カルロアは、年頃の娘ならば誰もが恋い焦がれずにはいられないほど美しく、溌剌とした生命力に満ちた青年だった。
 
 
 サム・リー副官が目を細めて、頷きを返す。
 
 
「我々が最も留意しなくてはならないのは、その点です。東国軍は山岳戦など、地形を活かした戦法を心得ています。東国軍を侮れば、我々は予期せぬ苦戦を強いられる事となるでしょう」
「ボーヴァワール中将のように?」
 
 
 悪戯心からそう口に出してみる。途端、サム・リー副官が抜け目ない動作で左右を見渡した。
 
 
「カルロア少将、誰が聞いているとも判りません」
「波の音に紛れて聞こえやしないさ」
「それでも、迂闊な発言は控えて下さい」
 
 
 サム・リー副官の諫める言葉に、カルロアはいい加減に頷いた。サム・リー副官が慎重になるのも解るが、カルロアにとってボーヴァワール中将は既に敬うべき上官ではなかった。
 
 古臭い軍律を重視するボーヴァワール中将と若いカルロアは、元々馬が合わなかったのだ。王の、貴族へ嫁いだ四女の一人息子という恵まれた出自と、それに劣らぬ輝かしい武功によって、まだ二十九という若さで少将の地位まで上り詰めたカルロアを、ボーヴァワール中将は判りやすく目の敵にした。事あるごとに難癖を付け、カルロアを引き摺り落とそうと画策する老人はカルロアにとって老害以外の何者でもなかった。
 
 
 今回の東国への侵略作戦では、カルロアを押し退けるようにしてボーヴァワール中将は指揮官へと名乗り出たのだ。元々戦力では東国を圧倒していた西国だ。その侵略は、容易に決着するとボーヴァワール中将は思い込んでいたのだろう。
 
 
 だが、その結果がこれかと唾棄するような思いが込み上げてくる。黄半島の占領において、たかが二百程度の東国軍の反撃に対して、西国軍の損害は千を越えた。これは信じ難い数字だ。つい昨日入隊したばかりの下級兵士に指揮を執らせたとしても、これほど莫大な損失を叩き出すことはないだろう。
 
 更に本土進軍のための斥候として先兵隊を出したはいいものの、その先兵隊すら撃破されたとなれば、もう指揮官としての能力を疑わざるを得ない。ボーヴァワール中将は驕り過ぎたのだ。自身の過去の武勲に自惚れて、敵国を侮った。
 
 
 その結果、カルロアは本国から遙か遠い異国へと向かう事となった。名目はボーヴァワール中将の補佐だが、次にボーヴァワール中将が“へま”をすれば、その指揮権は自動的にカルロアへと譲られる。実質的な更迭だ。
 
 
 カルロアは少しだけ笑う。特別出世欲が強いわけでもなく、祖国に対する愛国心もなかった。気まぐれに軍に入らなければ、貴族のボンボンらしく無意味な茶会と淑女との甘い語らいで人生が終わっていただろう。そんな自分が今海を渡っている。祖国の敵と戦うために。
 
 
 カルロアが『何故だ』と自問自答する事はない。生まれてこの方、カルロアは深く思い悩んだ事がまったくと言っていいほどなかった。運命とは気まぐれで、人生は宙を舞う羽のように、風が吹くままに委ねるというのがカルロアの信条だった。
 
 そして、その楽観的で、自らの考えに固執しない性格がカルロアを少将という地位まで押し上げた。豪胆だが柔軟で、決断は早く正確だ。人望もあり、下級兵士に対しても親しみのある笑顔を絶やさない。
 
 
 西国では自分を英雄と呼ぶ者もいるようだが、カルロアはそれが自分に与えられた名誉だとは考えなかった。ただ、他にめぼしい者がいないから、自分がそう呼ばれるに至っただけだ。少将という肩書きと大差はない。他者から向けられる期待や尊敬の眼差しは、カルロアにとって何の意味も持たなかった。
 
 
 先ほどよりもやや大きくなった黒点へと視線を戻して、未だ訪れたことのない東国という国について思いを巡らせる。西国よりも民度の低い、獣に近い者達が暮らす国だと聞いたことがある。天子という人間を神として崇め奉る、黒髪黒目の小柄な民族。五十年以上も西国と対立し続ける、小さな島国。
 
 
「何か素敵なことがあればいいが」
「素敵なこと?」
 
 
 無意識に零れ落ちた言葉に、サム・リー副官が訝しげな声をあげる。カルロアは、にこりと笑みを返した。
 
 
「そう、恋とかね」
「カルロア少将、私達はロマンスを求めに来たのではありません」
 
 
 カルロアの戯言に、即座にサム・リー副官の冷たい言葉が返ってくる。相変わらず冗談の通じない彼女だ。そこがサム・リー副官の短所であり美徳でもある。カルロアは苦笑いを滲ませて、こう答えた。
 
 
「解ってるさ。私達は戦争に来た。他国を侵略するために。この国を陵辱するために」
 
 
 まるで詩でも吟じるかのようなカルロアの滑らかな返答に、サム・リー副官が一瞬沈黙する。そうして、暫く後、深い頷きを返してきた。その機械じみた動作に、カルロアは声をあげて笑った。
 
 
「だが、まずは愚かな老人を国へ返そう。話はそこからだ」
 
 
 サム・リー副官はもう諫言を口にしなかった。呆れたように首を左右に振って、遠く異国の地へと視線を向ける。
 
 先ほどは指先程度にしか見えなかった黒点が次第に島の形を成していく。焼け焦げた木々が残る崖を眺めて、カルロアは長閑に欠伸を漏らした。
 
 

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Published in 地平の戦争

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