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38 補佐の役目

 
 扉を開くなり、クリスタル製の置物が真横の壁にぶつかって粉々に砕けた。けたたましい騒音を立てて真っ赤なビロードの絨毯の上へと散らばっていくクリスタルを、カルロアはちらりと視線の端で眺める。
 
 そうして、緩やかな動作で視線を持ち上げて、執務机の前で両肩をいからせて立つ老人を見遣った。老人の右腕は、クリスタルの置物を投げ付けた形のまま固まっている。凝り固まった脂肪で、まるで芋虫のようにぶよぶよに膨らんだ醜い腕だ。込み上げてきた侮蔑を腹の底へと隠して、カルロアは殊勝な様子で頭を下げた。
 
 
「少将カルロア、ボーヴァワール・ド・アレード中将殿を僅かなりとも助力せんと本国より参りました」
「帰れッ、ハイエナ貴族がッ! ここは貴様のような若造が来る場所ではない!」
 
 
 折角こちらが部下の顔を取り繕ってやろうと言うのに、脳味噌が衰退した老人は本音を隠すことすら出来ないのか。口元が蔑みに歪みそうになるのを堪えながら、カルロアは超然とした様子で言葉を返した。
 
 
「失礼ながら閣下。私の当軍への派遣は、本国総裁によって命じられた決定事項です。閣下に私の帰国の決定権はございません」
「黙れ! き、貴様は助けに来たという名目で、私を失脚させに来たんだろう! 私からこの軍の指揮権を奪うつもりなのだろう! そんな事は解り切っておる!」
 
 
 きゃんきゃんと躾の悪い犬のように喚き散らすボーヴァワール中将の声に、カルロアは頬に苦笑を滲ませた。僻み根性もここまで来たら表彰ものだ。カルロアは努めて冷静になろうと、わざとらしく咳をついた。
 
 
「一体何をおっしゃっているのですか。私が閣下を貶めに来たと? 閣下、貴方様は異国に長く居たことで随分とお疲れになっているようです。ですから、このような妄言を吐かれる。同じ故国に生まれた者同士、そのような非道な行為を行う訳がないではありませんか」
「妄言だと!? 貴様の吐く言葉の方がよほど妄言ではないか! 真実など何一つない! 嘘と胡麻すりばかりを口にするカルロアの詐欺一族めが!」
 
 
 頭に血が昇ったボーヴァワール中将の喚き声は止まらない。とうとうカルロア本人だけではなく、一族まで敵に回すような言葉を吐き始める。その侮蔑の言葉に、カルロアの頬に堪えきれず苦笑いが滲んだ。
 
 
 確かにカルロア一族は、その器用な口で今の地位まで上り詰めてきたところがある。先祖代々、お喋りと派手な事が大好きなカルロア一族。貴族の屋敷で開かれる夜会に毎晩のように顔を出しては、噂話に興じることを生き甲斐としてきた享楽一族だ。
 
 ダチョウの羽毛をふんだんに使った扇子の下で内緒話を繰り返して、暗闇で交わされる密約に耳を澄ませる。つまりは、単なる盗み聞きだ。だが、言い換えれば情報収集でもある。豊富で密度の高い情報を取引として、時にはクーデターを未然に防ぎ、カルロア一族は長い年月をかけて西国でのし上がった。
 
 今では盗み聞きではなく、王直々の命をもってカルロア一族は西国での諜報役を勤めている。カルロアの一族の中には、自らも諜報員として活躍しているものも多い。貴族だけでなく、時には街に下り、ゴミ箱の中からでも情報を漁ってくる。貴族のプライドよりも実利の方をより重視して、自らの矜持を持って使命を果たす。
 
 今では、王からのカルロア一族に対する信頼は非常に厚い。そうして、高官達からは影で恐れられる存在。だが、古臭い貴族達の間では、未だカルロア一族は『詐欺師一族』と侮蔑の名で呼ばれる。恐らく昔、痛い腹でも探られた事があるのだろう。所詮は負け犬の遠吠えとカルロアは気に止めたこともなかった。それでも、目の前でこうも悪し様に罵られれば流石に腹に据えかねるものがある。
 
 嗚呼、本国に帰ったら、これを一族の連中にどう面白可笑しく伝えてやろうか、とカルロアは夢想する。愉快犯的な素質のある親族達ならば、古ぼけたボーヴァワール一族など指先で弄ぶように没落させてくれる事だろう。貴族ほど持ち上げやすく、そして堕とし易いものはない。
 
 
 カルロアはふわりと口元に柔らかい笑みを浮かべて、青筋を立てるボーヴァワール中将を見つめる。カルロアの貼り付いたような笑みに、ボーヴァワール中将がひくりと白髪の口髭を揺らすのが見えた。
 
 
「一度吐き出した言葉は、二度と自分の口には戻りません」
「な、何が言いたい」
「もう遅いという事です」
 
 
 せめて大敗に落ち込んだ姿の一つでも見せれば優しくしてやったものを。この老人は虚勢ばかりで、中身は空っぽどころかポンコツだ。わざわざ身内に刺されるような真似をするなんて。
 
 意味深に嗤うカルロアを、ボーヴァワール中将が気味悪そうな眼差しで眺めている。その眼差しからふっと視線を逸らして、カルロアは言った。
 
 
「それでは、私達はこれで失礼致します」
「おっ…お前達の居場所なんて、この基地にはないぞッ!」
「勿論、そのような雑事で閣下のお手間を取らせるような真似は致しません。私達の場所は、私達で探します故、どうかご心配なく」
 
 
 吐き出された嫌味にさらりと答えて、カルロアは華やかに微笑んだ。顔を真っ赤にする老人へと背を向けて、足下に粉々に飛び散るクリスタルの破片を見下ろす。今更ながらに気付いたが、砕けたクリスタルは西国の国獣である『セイヴァー』を象った置物だった。置物とはいえ国獣を投げ付けるとは、ボーヴァワール中将も随分血迷ったものだ。故国に対する抗命と思われても仕方がない行為を、敵に見せ付けるとは。
 
 視線の先では、サム・リー副官が無言で扉を開いて待っている。その扉の外側へと、偶然のように砕けたクリスタルの頭部分を蹴り出した。部屋から出て、扉が閉まった瞬間、サム・リー副官が素早い仕草で、廊下に転がるクリスタルを拾い上げて上着のポケットへと忍び込ませた。
 
 
「何に使うつもりですか?」
「さぁ、何にだろう」
 
 
 はぐらかすようなカルロアの答えに、サム・リー副官は眉根をぐっと寄せた。彼女の狭い眉間に刻まれた深い皺を見遣って、カルロアは小さく笑い声をあげた。
 
 
「でも、何かの役に立つかもしれない」
「貴方は、時々無計画過ぎます」
「最初からガチガチに計画を決めてしまうと、一箇所でも綻んだ時に破綻しやすい。無計画なぐらいが丁度いいのさ。それに、繰れる手札は多ければ多い方がいい。だろう?」
 
 
 悪戯っぽく答えても、サム・リー副官はにこりとも笑わなかった。ただ、暫く押し黙った後、ぽつりとこう漏らした。
 
 
「貴方は、時々他人の人生を、カードゲームのように考えているのではないかと思います」
 
 
 零されたサム・リー副官の言葉に、カルロアは軽く肩を竦めた。彼女の目には、随分と自分は非道な人間のように映っているらしい。酷いなぁ、と独りごちるように呟きながらも、カルロアは、確かに自分は他人の人生とカードゲームとの区別があまり付いていないのかもしれないとも思った。カードを繰る様に、他人の人生を輝かせたり、泥にまみれさせたりする。時には、その生死を決めたりも。そこに罪の意識はなかった。例え、カルロアの選択や行為によって誰かが死んだところで、カードの一枚が駄目になったぐらいにしか思えない。カルロアは、他人の人生に共感を持つ事ができなかった。
 
 時々カルロアには、こんな自分の姿が見える時がある。カルロアは、部屋の中央に独りきりで座っている。目の前のテーブルには、何十何百枚ものカードが散らばっている。カードには、ボーヴァワール中将やサム・リー副官や幾多の兵士達の名前が書かれている。カルロアは、そのカードを指先で弄ぶ。カードを巧みに繰りながら、与えられたゲームをこなして行く。
 
 時にはカードを失いながらも、カルロアはそのゲームに常に勝利してきた。だが、時折思う。テーブルを挟んで向かい側の席には誰も座っていない。カルロアは、結局ただ独りで遊んでいるだけなのだと。
 
 
 廊下の向こう側から真新しい軍服を着た男が歩いてくる。遠目に見ても見目麗しい容姿が見て取れる美青年だ。顔立ちはまだ幼さを残しており、少女のような線の細さが目に付いた。肩口まで伸ばされた艶やかな髪の毛は、戦闘時の事をまったく視野に入れていない。どう考えても、軍隊には相応しくない、更に言えばこんな最前線に送られるとは考えられない兵士だった。
 
 どこか物憂げな青年の佇まいを見た瞬間、カルロアは青年が此処に居る理由をはっきりと理解した。まだこちらに気付いていない様子の青年を横目に映しながら、サム・リー副官へと耳打ちをする。
 
 
「軍での同性同士の性行為は許可されていたな」
「はい、合意の上ならば軍法上は容認されます」
 
 
 勿論推奨はされていませんが。と続けるサム・リー副官の言葉に、カルロアは、ふぅん、と曖昧な相槌を返した。物憂げな青年がカルロア達の姿に気付く。怯えたような眼差しがゆっくりと持ち上がって、カルロアを見つめる。だが、その視線はすぐさま隣のサム・リー副官へと移された。その一瞬の視線に滲んでいたのは、女性に対する憧憬だ。もしかしたら微かな渇望や情欲も孕んでいるだろうか。
 
 その眼差しを見た瞬間、カルロアは反射的にサム・リー副官へと命じていた。
 
 
「笑え」
「え?」
「サム、彼に笑ってやれ」
 
 
 朗らかに微笑みながらも有無を言わせぬ口調で命じるカルロアの姿に、サム・リー副官は一瞬だけ口元を引き攣らせた。だが、次の瞬間、見事に見惚れるような笑顔を青年へと向けた。女性独特の包み込むような柔らかな微笑みだ。
 
 サム・リー副官の笑顔を見て、青年が頬を赤らめて俯く。随分と初心な仕草だ。もしかしたら、まだ女性とは肉体関係を持ったことがないのかもしれない。青年は俯きがちにカルロアの横を通り過ぎて、そのままボーヴァワール中将の執務室へと足早に入っていってしまった。青年の姿が見えなくなった瞬間、サム・リー副官の顔面からは笑顔が消え、再び鉄仮面のような強張った表情が戻ってくる。
 
 
「どういうつもりですか」
「何がだ?」
「何故、私が笑わなくてはいけなかったのですか」
 
 
 サム・リー副官の声音は微かに刺々しかった。笑うのがよっぽど嫌だったのだろうか。あんなにも素晴らしい笑顔を持っているのに。
 
 
「彼、君を見て赤くなっていたね。可愛いじゃないか」
「私はボーヴァワール中将の男妾に笑いかける趣味はありません」
 
 
 随分と腹に据えかねているのか、あけすけなサム・リー副官の物言いに、カルロアは思わず噴き出しそうになった。その場からゆっくりと立ち去りながら、サム・リー副官の肩を軽く叩く。
 
 
「君は、私の失言を諫める側の人間だろう? その君が率直な言い方をしてどうするんだ」
「申し訳ございません。本音が出てしまいました」
「いいや、でも、君の言葉は正しい。彼は、ボーヴァワール中将お気に入りの『補佐』というところかな?」
 
 
 咽喉から小さく笑い声が零れる。軍隊ではよくある事だ。戦場では、圧倒的に女が不足する。溜まった性欲を発散するために男に走る者も少なくない。時には『女の代わり』ではなく、『男そのもの』にハマる者もいるくらいだ。上層部の中には、自分好みの兵士を補佐という名目で囲う者もいる。おそらく、あの見目麗しい青年もボーヴァワール中将の補佐として、この地に連れて来られたのだろう。そうして、敵兵と戦うこともなく、あの醜い老人の欲望を受けている。
 
 
「こんな最前線に男妾を連れて来るだなんて信じられません。不道徳ですし、とても不潔です」
 
 
 生真面目な口調でサム・リー副官が呟く。その堅苦しい物言いに、カルロアは必死で笑いを噛み殺した。サム・リー副官がちらりとカルロアを見上げてくる。
 
 
「彼も、貴方のカードの一枚にするつもりですか?」
「さぁ、それはまだ解らないな。それよりも、ボーヴァワール中将は、敗戦の屈辱を彼に慰めて貰ったんだろうか。なぁ、ベッドではどっちが“上”なんだと思う?」
「そういう想像も不潔です」
 
 
 ぴしゃりと言い放れたサム・リー副官の一言に、カルロアは堪え切れず噴き出した。
 
 

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Published in 地平の戦争

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