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39 猟犬と鷹

 
 見張り台へと向かっている途中、『カルロア少将』と呼び掛ける声が聞こえた。
 
 振り返ると、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべた小太りの男が小走りに近付いてくる姿が見えた。榛色の髪を後ろに撫で付けており、丸眼鏡の奥の青い双眸は中央の虹彩が僅かに焦げ茶色を滲ませている。軍人らしくない何処か牧歌的な雰囲気を漂わせた男だ。
 
 その小柄な男の姿が見えた瞬間、隣に立つサム・リー副官の背筋がすっと伸びるのが見えた。サム・リー副官の形のよい唇は、きゅっと左右に引き結ばれている。らしくもなく緊張した様子の彼女を横目で一瞥してから、カルロアは朗らかな声をあげた。
 
 
「やぁ、アルキンス。二年ぶりになるかな」
「はい。最後にお会いしたのは、北国との国境争いの時ですから、二年と二十三日ぶりですね。変わらずお元気なようで何よりです」
 
 
 滑らかな口調でそう漏らして、アルキンスが深々と頭を下げる。そうすると、少し薄くなった頭頂部が見えた。確か歳はカルロアよりも十歳程度上だっただろうか。だが、その軍服に付けられた階級は、カルロアよりも低いものだった。どうやら現在は、大尉という立場にあるらしい。
 
 通常であれば、大尉が軽々しく少将に声を掛ける事など許されてはいない。だが、アルキンスに関しては、その階級以上の権限をカルロアは許していた。
 
 緩く指を伸ばして、アルキンスの胸につけられた階級章を爪先で弾く。
 
 
「二年前に会った時は、確か幕僚付き参謀補佐官だったと思うが?」
「そうでしたか? もう二年も前のことなんて忘れてしまいました」
 
 
 先ほど二年と二十三日と正確な日数まで言い当てた男が舌の根が乾かぬ内に巫山戯たことを言う。そのとぼけた表情を見ながら、カルロアは笑みを深めた。
 
 
「君はいつもそうやってとぼける。なぁ“調達屋”のディア・アルキンス、この戦場には何を調べに来たんだい?」
「私が答えられないと知っていてそれを聞くのは反則ですよ」
 
 
 アルキンスが弱ったように、小さく肩を竦める。その仕草を眺めながら、カルロアは込み上げる笑いに咽喉を震わせた。
 
 
 ディア・アルキンス。カルロアが軍部へと入った頃から、もう何度顔を合わせた事だろう。ある時は中佐、ある時は補給部隊隊長、そうして、ある時には一般兵に紛れて馬糞を掃除している姿を見たことすらある。毎回出会う度に、アルキンスは異なる階級を持ち、異なる役割を担っていた。
 
 そんな彼が軍の内情調査のため王家から送り込まれた人間だと気付いてから、カルロアはアルキンスに対して親しみに似た感情を抱くようになった。初っぱなから『君は王家のスパイだろ?』と声を掛けたカルロアに、アルキンスは『貴方は単刀直入すぎる』と声をあげて笑った。その時から、カルロアとアルキンスの間には奇妙な共存関係が築かれている。カルロアはアルキンスの暗躍を見逃し、その代わりのようにアルキンスはカルロアが必要とする情報や物資を何処からともなく調達してくる。そういった経緯があって、いつからか彼のことを『調達屋』と呼ぶようになったのだ。
 
 
 薄い頭髪をぽりぽりと掻くアルキンスを眺めて、カルロアは和やかに目を細めた。肩を軽く叩いて共に歩き出すように促しながら、カルロアはゆっくりと唇を開いた。
 
 
「嗚呼、でも君に会えて丁度良かったよ。早速調達して貰いたいものがあるんだが良いかな?」
「勿論、何なりと」
 
 
 淀みなく足取りを進めながらも会話は続いていく。アルキンスの隣に立つ事が出来ず、ほんの少し離れた後方を歩くサム・リー副官が何とも可愛らしかった。
 
 
「三つ程あるんだが、まず一つ目はボーヴァワール中将の補佐の情報を」
「あぁ、あの愛人のことですか」
「君までそう呼ぶのか」
「それが真実ですから。真実を口に出すのに躊躇う必要などありませんよ」
 
 
 アルキンスは事も無げな口調で、そう言い放った。穏和な顔立ちに似合わぬキッパリとした物言いに、カルロアは思わず口元を緩めた。イエス・ノーのはっきりした人間の言葉は、カルロアにとって何よりも心地よいものだ。虚栄と虚構にまみれた軍部では、中々こういった心地よさを味わうことは出来ない。
 
 
「では、その『愛人』の情報を出来るだけ早急に集めて欲しい。接触の場を設けてくれるなら尚更良い」
「承知致しました。二日以内には必ず」
「宜しい。二つ目になるんだが、現在の敵情を詳しく知りたい。特に、今回黄半島および先兵隊殲滅の戦いを指揮した敵軍将校の事を」
「それならば、今丁度この基地でも噂になっているところですよ」
 
 
 アルキンスがその穏やかな顔立ちに似合わぬ、ほくそ笑むような表情を浮かべる。
 
 
「どちらの戦を指揮したのも同じ将校です。名はミキ・カネダ。階級は中尉で、どうやら士官学校出身ではなく叩き上げの軍人のようです」
「へぇ、ミキ・カネダねぇ。叩き上げで中尉まで上るということは、随分と腕の立つ将校のようだな」
「はい。どうやら奇襲が得意な将校のようで、今回も守るべき駐屯地を捨てて火の海にしたとか」
「火の海」
 
 
 繰り返して、カルロアは先日見た黄半島の焼け焦げた大地を、目蓋の裏に思い浮かべた。自国の大地を、森を焼き払うとは何とも豪快な事をしたものだ。それとも大軍を前に、半ばヤケクソになって行った愚行だったのだろうか。
 
 視線をぼんやりと宙へと浮かべるカルロアを眺めて、アルキンスが声を潜めるようにして囁く。
 
 
「黄半島戦で生き残ったものの話によると、ミキ・カネダは戦場で笑っていたと」
「笑っていた?」
「はい。この上なく愉しそうに」
 
 
 その瞬間、火に焼かれながら無邪気に笑う男の姿が目蓋にありありと映った。見たこともない男がカルロアの脳髄の奥で甲高い哄笑を放っている。不意に、胸の奥が熱くなった。唇が紛れもない高揚に笑みを滲ませる。
 
 
「それは、気が狂ってるな」
「はい。典型的な戦争ジャンキーです」
「だが、強い」
「そうです。ミキ・カネダ率いる中隊に、我が軍の千二百名は皆殺しにされました」
 
 
 千二百名を皆殺しにした男。そう頭の中で繰り返した瞬間、恍惚にも似た怖気が爪先から這い上がってきた。
 
 
 嗚呼、何という男だ。他人を屠殺しながら嗤うだなんて、完璧に頭がイカれてやがる。まともな人間の感情を持っているとは思えない。気狂いで、残虐で、狡猾で——だが、たまらなくセクシーな男だ。
 
 
 うっとりと目を細めるカルロアへと、アルキンスが更に身を乗り出すようにして語り掛けてくる。
 
 
「我が軍では、どうやらミキ・カネダの事を“ハウンド”と呼ぶ者も現れております」
「ハウンド?」
「黒い猟犬が襲い掛かってくるように見えたようです」
 
 
 もう堪え切れなかった。唇から息が漏れた次の瞬間、カルロアの咽喉から盛大な笑い声が迸った。高らかな笑い声は低い天井に跳ね返って、廊下中へと響き渡っていく。歩いていた数名の兵士達が何事かと振り返っている姿が見えた。
 
 
「ふ、ふははっ、ハウンド! ハウンドか!」
「カルロア少将、声を抑えて下さい」
 
 
 サム・リー副官が慌てたように声を掛けてくる。何とか笑い声は抑えたものの、カルロアの肩は笑いの余韻で小刻みに震えていた。目尻に薄っすらと浮いた涙を指先で拭いながら、カルロアは掠れた声をあげた。
 
 
「ハウンドだなんて、まるで自意識過剰な子供が付けた呼び名のようだな。『きゃあ、パパ! 黒いハウンドが後ろから追い掛けて来るよ!』」
 
 
 まるで戯曲のように言い放つカルロアを見て、サム・リー副官が露骨に不愉快そうな表情を滲ませる。皺が刻まれた彼女の目尻を眺めながら、カルロアは宥めるように柔らかな声を上げた。
 
 
「すまない。ふ、少しね、可笑しくなってしまってね」
「同胞が殺されたというのに、何も可笑しくはありません」
 
 
 噛み付くようなサム・リー副官の台詞に、カルロアは軽く肩を竦めた。その誤魔化すような仕草に、サム・リー副官の表情は更に険しくなるばかりだ。すると、アルキンスがそっと声を掛けるのが聞こえた。
 
 
「まぁまぁ、そう尖らないで。少将は、同胞が死んだのを面白がっている訳ではないのですから」
「ですが、アルキンスっ」
「あぁ、そうだ。部屋にとびきりの赤ワインがあるんです。サム、貴女の生まれ年のワインですよ。もし良ければ、今夜一緒に飲みませんか?」
 
 
 アルキンスの滑らかな誘いの言葉に、サム・リー副官は目に見えて紅潮した。気難しい彼女がこれほどまでに感情を露わにするのは珍しい。それもこれも片思いの魔法とやらなのだろう。
 
 直属の上司の目の前で誘われたのが気まずかったのか、サム・リー副官は数度視線をさまよわせてから、何とも可愛らしい小声で答えた。
 
 
「アルキンス、嬉しいのですが、そういった事はこういう場では…」
「私は構わないよ。色々と積もる話もあるだろうし、今夜は二人で楽しんでくればいい」
 
 
 そう大手を振って送り出す。満面の笑みを浮かべるカルロアを、サム・リー副官は一瞬恨めしそうな眼差しで見た後、ほんの小さな声で「ありがとうございます」と囁いた。嗚呼、どんな場所でもどんな状況でも、恋する乙女というものは愛らしいものだ。
 
 
 いつからだろう。アルキンスに会って二年も経つ頃だっただろうか。サム・リー副官のアルキンスへと送る眼差しが変わった事に気付いたのは。自分よりも身長が低い小太りな男に会った時だけ、男勝りな副官の顔が女へと変わる。
 
 その変貌に、アルキンス本人も気付かない訳がなかった。だが、アルキンスはサム・リー副官の気持ちに応える様子も、拒絶する素振りもない。ただ、にこにこと微笑んで、恋愛慣れしていない少女のようにサム・リー副官を扱っている。
 
 数年前から二人の男女のやり取りを間近で眺めているが、カルロアには二人の関係というものがいまいち掴み切れなかった。アルキンスもサム・リー副官を憎からず思っている事は伝わってくるが、ならば何故その気持ちに応えてはやらないのか。そうは考えても、他人の恋愛に首を突っ込むつもりもなく、カルロアはただ傍観するばかりだった。出来れば、この真面目一辺倒な副官が泣くような羽目にならなければいい、と思いながら。
 
 
 思考を巡らせている内に、見張り台へと辿り着いていた。西国軍駐屯地を取り囲む城壁の上には、巨大な大砲が五台ほど据え付けられている。見張り台もかねたその場所からは、兵士達が絶え間なく向かい側の東国軍・臼長井基地へと視線を巡らせていた。
 
 見張り台へと颯爽と現れたカルロアを見て、兵士達がぎょっとしたように目を見開いているのが見える。兵士達へと愛想良く手を振ってから、カルロアはそっと城壁へと両腕を凭れて、視線を臼長井基地へと向けた。
 
 それほど大きくはない、中型の基地だ。基地の上には、漆黒の国旗が立てられている。深い闇の色をした旗が風を受けて大きくはためいている。ハウンドもあそこに居るのだろうか、と想像すると、口元がまた笑みに緩んだ。
 
 
 その時、丁度中庭を引き擦られていく黒髪が見えた。小柄な黒髪の女は、異国の言葉を喚き散らしながら地下の階段の方へと連れて行かれている。
 
 
「彼女は?」
 
 
 端的に訊ねる。アルキンスは緩く下を見下ろしてから、あからさまに眉根を寄せた。
 
 
「あれは東国の村民です。ボーヴァワール中将が進軍の途中で百二十名ほど捕獲して、この基地まで連行して来たのです」
「何故そんな事を? ただ、兵糧を食い潰されるだけだろうに」
「人質です。規定の期日までに東国が無条件降伏しなければ、人質を一人ずつ処刑するようです」
 
 
 また笑いが溢れそうになった。口元を掌で抑えながら、カルロアは込み上げてくる嘲笑に背筋を震わせた。
 
 
「それはジョークかい? あぁ、まったくオツムの悪い人間の考えることは馬鹿馬鹿しくて笑いが止まらないよ」
「それに関しては全く同感です」
「要人でもない、捕虜でもない、単なる臣民を盾にとったところで降伏する国が何処に在る。国というのは臣民を食い潰して生き長らえるものだ。たかが百名程度が死んだところで変わりは幾らでもいる。無条件降伏? ハッ、くだらない妄言だな」
 
 
 吐き捨てて、妄想に取り付かれたボーヴァワール中将の姿を思い浮かべる。おそらくボーヴァワール中将は、自分自身の失態を挽回しようと躍起になっているのだろう。だが、人質などとはお粗末な作戦にも程がある。
 
 黙り込んでいたサム・リー副官が小さく呟く。
 
 
「その上、処刑の話が東国へと流布されれば、より敵陣の怒りは増幅されるでしょう」
「その通り。軍人を殺されて抱くのは恐怖だが、女子供を殺されて抱くのは憎悪だ。それがこんな無意味な処刑による殺戮だと判れば、その憎悪はいかほどなものだろうな」
 
 
 考えるのも嫌になる、とカルロアは顔の側で投げ遣りに手を振った。憎悪に支配された敵ほど面倒臭いものはない。自分自身の命を擲った抵抗を続けられれば、下手をすれば長期戦にもつれ込む可能性すらある。まったく、オツムの弱いくせに虚栄心ばかり強い老人は害悪しかもたらさないのか。
 
 面倒臭そうに頬杖をつくカルロアを横目で眺めて、サム・リー副官が小声で問い掛けてくる。
 
 
「“どう”しますか?」
 
 
 その意味深な問い掛けに、カルロアは口元を薄笑いに歪めた。
 
 
「どう? どうしようもないさ。私が何を言ったところで、あの老人が聞き入れるとは思えないからね」
「なら、このまま自軍が不利になるような愚策を、ただ傍観していれば良いのですか?」
 
 
 怒りの滲んだサム・リー副官の声に応えず、カルロアはそっと空を見上げた。憎々しいほどに青く晴れ渡った空だ。空には大きく膨らんだ白雲がぷかぷかと浮かんでいる。年を通して晴天が続く西国では、雲なんて滅多に見れなかった。
 
 
「なぁ、サム。雲が浮かんでいる」
「カルロア少将、真面目に答えて下さい」
「少しは気を抜けサム。君は、この国に来てから少し気が尖り過ぎだ」
「敵国のまっただ中で、暢気に雲なんか眺めている暇はありません」
 
 
 容赦のないサム・リー副官の言葉に、カルロアは空へと向けていた眼差しを彼女へと向けた。
 
 
「サム、私の気持ちは、既に君に伝えているはずだ」
「気持ちですか?」
「そう。私がまずこの場所で何をしなくてはならないのか」
 
 
 そう言いながら、爪先で軽く駐屯地の床を踏み締める。サム・リー副官は暫く理解不能と言いたげに眉を顰めていたが、不意にはっとしたように表情を変えた。
 
 
「敵国の民が何千何万死のうが、処刑されようが、私にとってはどうでも良い事だ。それで多少の不利が出来ようが、そんなことは大した問題ではない。ただ一つ重要なのは『裸の王様』を一刻も早く玉座から引き摺り下ろすというところにある」
 
 
 ボーヴァワール中将を一秒でも早く自国へと送還する。そうして、カルロアが東国侵攻軍の実権を握る。それは権力に対する欲望ではなく、ただ単にカルロアは知っているのだ。自分が軍の実権を握ることで、最も軍の損失が少なくなることを。
 
 カルロアの発言に、サム・リー副官が素早く視線を左右へと巡らせる。だが、カルロアの声は風に吹き飛ばされて、見張り兵達の耳には届いていないようだった。
 
 アルキンスが強風にぱちぱちと目蓋を瞬かせながら、口元に楽しそうな笑みを浮かべる。
 
 
「その方法を考えてらっしゃるんですか?」
 
 
 そう訊ねてくる声に、カルロアは答えず、ただ笑みを深めた。そうして、再び視線を臼長井基地へと向ける。あの場所で牙を研いでいるだろう猟犬は、自国の臣民の処刑をただ傍観しているだけだろうか。
 
 
「あぁ、早くハウンドに会いたいなぁ」
 
 
 千二百人を殺戮した男を一刻も早く見てみたい。その血にまみれた手を、嗤う面を、畜生な心臓を、ずたずたに引き裂いて喰らってやりたかった。嗚呼、何だかまだ見ぬ男に恋い焦がれているような気分だ。
 
 
 夢心地で呟くカルロアの様子に、サム・リー副官とアルキンスが目配せをして肩を竦める。その仕草を横目で眺めて、カルロアはくつくつと小さく笑い声を漏らした。
 
 アルキンスが最後に問いかけてくる。
 
 
「カルロア少将、三つ目の調達する物とは何ですか?」
「嗚呼、そうだった。少尉の軍服を一式、明日の朝までに用意してくれ」
「軍服ですか? 勿論、ご用意できますが」
「宜しい。では、遅くなったが昼食にしよう」
 
 
 そう言い放つなり、カルロアは素早く踵を返した。階段を降りる直前、肩越しにゆっくりと青空へと視線を向けた。頭上では、鷹が美しい螺旋を描きながら悠々と飛び回っている。
 
 地を駆ける猟犬を狩るのは一体どんな動物だろうか。鋭い爪を持ち、空から襲い来る猛禽類ではないだろうか。そう想像すると、胸が高揚で浮き立った。
 
 

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Published in 地平の戦争

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