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40 熱風を待つ

 
 一週間も経つ頃には、湿り気を含んだ異国の空気にも慣れてきた。
 
 お情け程度に雑草が生えた荒野を城壁から見下ろしながら、カルロアは頭に乗せた軍帽を目深に被り直した。美しい金糸の巻き毛は軍帽の中へと押し込んでおり、その鮮やかな碧眼を隠すように薄く色の入った眼鏡を顔に掛けている。軍服の胸には、少将ではなく少尉の階級章が付けられていた。
 
 
 時折、中尉や少佐といった将校が目の前を通る度に、カルロアは馬鹿丁寧な敬礼を向けた。カルロアの敬礼に将校達が満足そうに頷くのが、妙に新鮮で面白かった。時には癇癪持ちな少佐が意味もなく兵士達をぶん殴っている姿も見受けられた。そういった光景を見た際には。カルロアは嬉々としてその殴られる兵達に混ざった。生まれてこのかた親にすら殴られた事もない自分が理不尽な暴力に晒されているという状況が愉しかったからだ。
 
 何度も拳を叩き込まれた下腹を掌で撫でさすっている時、傍らにアルキンスが寄ってくるのが見えた。
 
 
「貴方は一体何をしているんですか」
「社会勉強さ」
「兵士をぶん殴るのを生き甲斐にしているような馬鹿少佐に殴られるのが社会勉強ですか?」
「これがなかなか勉強になるのさ。普段私に媚びへつらっている人間が、たかだか着ている服を変えたぐらいで豹変する。つまり、私という人間は着ている服よりも薄っぺらい、という事が解るわけだ」
「ご自身を自虐して楽しんでるのですか?」
「ふふ、そうかもな」
「いいえ、嘘をつかないで下さい。貴方は真性のサディストです」
 
 
 きっぱりと言い放たれたアルキンスの台詞に、カルロアはパチリと大きく瞬いた。その直後、口元を薄く歪める。
 
 
「君は時々酷いことを言うなぁ」
「事実です。貴方を殴ったあの少佐が今後どうなるのか考えるだけで怖気が立ちますよ」
「理由もなく兵士を殴って士気を下げる馬鹿は、私の軍に不要だ。そうだろう?」
 
 
 そう平然と答えるカルロアを見て、アルキンスが呆れたように首を左右に振る。
 
 
「サムが怒っていましたよ」
「サムが? 何故?」
「何故って、貴方が何も説明して下さらないからです。カルロア少将は東国に到着後、異国の気候に体調を崩して部屋に篭もっているなんて噂を流しておいて、そのくせ本人は少尉のフリをして基地内を飛び回っているなんて。説明がなければ遊んでいるように見えても仕方がありません」
「遊んでいるだなんて失敬だな」
「遊んでいないのですか?」
「まぁ、ほんの少しだけさ」
 
 
 悪びれる様子もなくカルロアは軽やかに答えた。アルキンスが溜息を吐いた後、仕方なさそうに笑う。サムとアルキンスの一番の違いはここだ。サムは他人の不正や不誠実を決して許さないが、アルキンスは結局は許容する。というよりも、いい加減に流してしまう。こういうアルキンスの諦念的寛容を、カルロアは酷く気に入っていた。
 
 アルキンスが苦笑いを浮かべたまま、言葉を続ける。
 
 
「では、サムとボーヴァワール中将の愛人を近付くように命じたのも遊びの一環ですか?」
「サムは怒り狂ってるだろうな」
「先ほど中庭で愛人と話している姿を見ましたよ。顔はにこにこ笑っていましたが、手の甲に青筋が浮かんでいました。あれは相当キていますね」
「サムは潔癖性だからな。中年男の陰茎を咥え込んでる男と偽りでも笑って話すのは、自分自身の誇りが許さないのだろう」
「サムは怒っていましたが、愛人の方は随分とサムに懐いているようでしたよ。初心な生娘のように、頬まで染めて」
「何だアルキンス、まさか嫉妬しているのか?」
 
 
 カルロアの問い掛けに、アルキンスは曖昧な笑顔を浮かべた。イエスともノーともつけがたい笑みだ。カルロアは一瞬口を噤んで、それから朗らかな微笑みを向けた。
 
 
「出来ることなら、私の副官を傷付けないでもらいたいね」
「さぁ、私には何のことやらです」
「時々、君が酷く憎たらしいよ」
 
 
 狸の化かし合いのような会話だった。だが、声音は互いに和やかで、亀裂など欠片も感じさせない。カルロアはアルキンスの肩を軽く叩こうとして、自身が今身に付けた階級章のことを思い出して手を止めた。代わりのように、アルキンスがカルロアの肩をぽんと叩く。
 
 
「君に肩を叩かれると不思議な感じがするよ」
「私は新鮮です。まさか貴方の肩を気安く叩けるなんて。上官のフリもなかなか悪くないですね。一発ぐらいなら殴っても大丈夫な気すらしてきます」
「私を真性のサディストだと称したのを忘れたのかい?」
「いいえ。ただ、貴方は利用できる人間を処分するような方ではないとも知っているだけです。私には、まだ利用価値がある。そうですよね?」
 
 
 相変わらず歯に絹着せぬアルキンスの物言いに、カルロアは思わず笑い出してしまった。城壁に両腕を預けたまま笑うカルロアを眺めて、アルキンスが緩く目を細める。
 
 
「ですが、そろそろ遊びの時間も終わりにしなくては」
 
 
 切り出された言葉に、カルロアは鷹揚に頷いた。アルキンスがわざわざカルロアのところにやって来たのも、この話題を話したかったからだろう。
 
 
「嗚呼、解ってるさ。もう明日だからね」
「はい。明日までに東国が無条件降伏しなければ処刑が行われます。勿論、無条件降伏などあり得ませんが…貴方は、どうなさるおつもりですか?」
 
 
 声を潜めて、アルキンスが訊ねてくる。その窺うような声音を聞きながら、カルロアは再び城壁から荒野を見下ろした。熱風がとぐろを巻きながら、頭上へと砂を巻き上げているのが見える。荒野の所々でつむじ風が起こって、小さな砂嵐が立ち上っていた。吹き荒れる砂を眺めて、カルロアはこう答えた。
 
 
「私は、待ってる」
「待つ? 一体誰を?」
 
 
 訝しげなアルキンスの声が聞こえた時、不意に視界の端に白くはためく物が映った。荒野の上で、純白の旗が激しく翻っている。その旗は砂嵐の中、ゆっくりと西国駐屯基地へと近付いてきていた。
 
 
 その純白の旗を掲げているのは、一人の金髪の青年だ。遠目でも、その青年が西国軍の軍服を身に纏っているのが判る。その青年は、もう一人黒髪の男を引き摺るようにして歩いていた。金髪の青年が手に持った紐を引っ張る度に、黒髪の男がふらふらと頼りなさげに揺れるのが見える。まるで主人と飼い犬のような光景だ。
 
 
 それを見た瞬間、カルロアは身を翻して階段へと向かっていた。後ろからアルキンスの慌てた声が聞こえたが、立ち止まってやる気など皆無だった。
 
 

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Published in 地平の戦争

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