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43 捨て駒さん

 
 金田は、暗闇で目を開く。数度瞬くと、暗闇の中からぼんやりと辺りの様相が浮かび上がってきた。
 
 そこは地下だった。薄暗く、まるで蒸し部屋のように暑く湿っていた。更に毛穴まで潜り込んでくるような濃い腐臭が漂っていた。熟された死体の臭気だ。
 
 金田を連行してきた西国軍兵士は、まるで物でも投げ入れるように金田の身体を巨大な檻の中へと放り込んだ。ぞんざいに突き飛ばす手の力に耐え切れず、金田は両足を縺れさせるようにして檻の中へと倒れ込んだ。肩の骨が石床にしたたかに叩き付けられて、痺れるような鈍痛を発する。
 
 西国軍兵士は西国語で何事かを喋った後、足早に地下から立ち去っていった。おそらく、この場所に漂う汚臭を一秒でも長く嗅ぎたくないのだろう。
 
 
 西国軍兵士が立ち去った後、金田はうつ伏せに倒れたまま、這うようにして顔を上げた。目を凝らせば、暗闇の奥でぞわぞわと蠢く影が見える。影達は左右に揺れながら、時々ひそひそと密やかな声を交わし合う。百あまりの隠微な息遣いが暗闇に淡く響いていた。
 
 
「…だいじょうぶ?」
 
 
 不意に、傍らから幼い声が聞こえた。東国の言語だ。うつ伏せに倒れたまま、金田は顔を捩るようにして声の源へと視線を向けた。暗闇に慣れ始めた目が小さな影を映し出す。
 
 
「あなたも、捕まっちゃったの?」
 
 
 問い掛けているのは、まだ十にも達していないだろう少女だった。身体はガリガリに痩せ細っていて、黒目がちな目ばかりがギョロリと大きい。
 
 金田は小さく瞬いた後、咽喉の奥からくぐもった呻き声を漏らして、身体を左右に揺さぶった。口には相変わらず猿轡が填められたままで、両腕も背後で縛られていた。
 
 苦しげに唸る金田の様子を見て、少女がそっと手を伸ばしてくる。すると、暗闇の奥から影が声を発した。
 
 
「やめな。関わるんじゃない」
「でも、この人、苦しそう」
「そいつがおかしな奴だったらどうするんだい。そのまま放っておきな」
「この人、わたしたちと同じよ。同じ国の人を放っておいたりできないわ」
 
 
 年齢にそぐわぬ理性的な台詞を返しながら、少女が緩やかな手付きで金田の猿轡を外していく。口から布が取り除かれた瞬間、金田は頬をえずくようにしてパンパンに膨らませていた塊を一息に吐き出した。石床の上を、唾液にまみれた塊が二つ転がる。
 
 数時間ぶりにまともに吸い込んだ空気に、金田は激しく噎せた。額を凸凹とした石床に押し付けて、がふがふと濁った空咳を漏らす。力なく呼吸を繰り返してから、金田は少女へと視線を遣った。
 
 
「うれ、ぉ」
「え?」
「うれを、ほろぃてくれ」
 
 
 長時間口を開きっぱなしだったせいか、下顎が痺れて上手く喋ることが出来なかった。舌ったらずな金田の言葉を理解したのか、少女は今度は後ろ手に縄で縛られた金田の腕をほどいた。腕がほどけた途端、金田は身体を大の字にして床に仰向けに横たわった。鈍く痛む下顎を片手で押さえながら、唸るように呟く。
 
 
「ひくしょう、あごぁ、はふれるじゃへぇか」
「あなた、何言ってるか全然わかんない」
 
 
 相変わらず呂律の回っていない金田の声に、少女が困惑の眼差しを向けてくる。斜めに少女を見遣りながら、金田は顎の具合を確かめるように数度ぱくぱくと上下に口を動かした。ようやく顎の痺れが取れてきたところで、鈍く声をあげる。
 
 
「顎が外れるじゃねぇか、と言ったんだ」
「あなた、口に何いれてたの?」
 
 
 訝しげな表情を浮かべて、少女が金田が吐き出した塊へと手を伸ばす。金田は咄嗟に棒きれのように細い少女の手首を掴んだ。少女が驚きに小さく悲鳴をあげる。
 
 
「それに触るな」
「その子を離せ!」
 
 
 少女の悲鳴に呼応するようにして、影の中から老人の声が聞こえてきた。暗闇から、一人の老人が進み出てくる。白い髭がもくもくと生えた、いかにも村長風な老人だ。だが、その白髭は埃や泥で、何とも貧乏臭い灰色に汚れていた。
 
 
「私の孫から手を離せっ!」
 
 
 怒りを滲ませた老人の眼差しに、金田は鼻白んだように口元を歪めた。
 
 
「離すからキィキィ喚くな。顎の次は耳までおかしくなる」
 
 
 面倒くさそうに言い放って、呆気なく少女の手を離す。怯えた少女は、金田の側を足早に離れて、祖父の元へと走っていった。祖父が少女を抱き留めて、胡乱げな眼差しで金田を凝視してくる。
 
 金田はその眼差しを無視して、床に転がった二つの塊を拾い上げた。塊を包む自身の唾液でべたついた布を、顔を顰めて剥ぎ取っていく。防水布で包まれた塊は、直ぐに姿を表した。黒い粘土のような奇妙に柔らかい塊を、指先で弄くる。もう一つの布には、雷管や信管が包まれていた。
 
 そうしていると、祖父の腕に抱かれた少女が不思議そうに訊ねてきた。
 
 
「それ、なに?」
「爆弾」
 
 
 少女の問いに対して、金田は事も無げに言い放った。途端、牢屋の奥に固まっていた影達がざわざわとにわかに騒ぎ出した。
 
 
 『爆弾?』『冗談だろう?』『何でそんなものを…』そんな台本のようなつまらない会話が細波のように聞こえてくる。それらの会話に紛れて、小さく祈りの声が聞こえた。天子様に捧げる祝詞だ。そんな中、少女が戸惑ったような声をあげるのが聞こえた。
 
 
「爆弾って、人をころすもの?」
「そうだな。殺そうと思えば、この量なら五人ぐらいはいけるな」
「わたし、人をころすものは嫌い」
「へぇ、そうか」
「わたしのお父さんは銃でころされちゃった」
 
 
 そう言って、少女が牢屋の端を指さす。そちらへと視線を遣って、金田はこの地下に漂う腐敗臭の理由を知った。
 
 粗末な筵の上に、人間だった物体が仰向けに横たえられている。死後五日は経っているのか、死体は腐敗して、所々に白い米粒のような蛆虫が這っていた。ぽっかりと開かれた口の中を、大量の蛆虫がぞろぞろと這い回っている光景が薄らと見える。よく見れば、死体の下腹は乾いた血で真っ赤に濡れていた。おそらく死因は、腹を撃たれた事による失血死だろう。
 
 
「お父さんは、小さい子だけでも逃してやってくれって頼んだだけなの。ぺこぺこ頭下げて、お願いしますお願いします、って。でも、見張りの人は何も言わずにお父さんを撃っちゃった。手当てもしてもらえなくて、お父さんはその日の夜に死んじゃったの」
 
 
 少女の声は思ったよりもしっかりしていた。おそらく悲しみを通り越して、今は無感動になっているのだろう。だが、周りの大人は少女の言葉を聞いて、小さく啜り泣いている。異常な環境に身を置かれた時、もっとも順応が早いのは大人よりも子供の方だ。
 
 
「そりゃ気の毒にな」
 
 
 金田は、まったく気の毒など思っていない声で言い放った。親を殺された子供など山ほど見ている。いちいち同情するだけの余裕も感傷も、金田の心にはもう存在しなかった。少女は黒目がちな眼差しで、金田を見つめてくる。
 
 
「あなたもころすの?」
「そうだな」
「わたしたちを?」
 
 
 少女の問いに、影達が一様にざわめき出す。今にも喚き出しそうな影たちを抑えるように、金田は声を上げた。
 
 
「違う。俺はお前達を逃がすために来た」
「にがす?」
「そうだ。ご存じの通り、お前達は明日には西国軍の奴らに一人残らず処刑される。だから、首と胴体がおさらばする前に、この基地から逃げ出す。解りやすい説明だろう?」
 
 
 理解は出来たか?と金田は緩く首を傾げて、影達を見渡した。影の中から、一人の中年男が上擦った声を上げる。数日前に見張りに殴られでもしたのか、その右目蓋は青紫色に腫れ上がっていた。
 
 
「に、逃げる、だって? そんなこと出来るはずがないッ。この地下から出た途端に、撃ち殺されるに決まってる…ッ!」
「あぁ、そうだな。おそらく上手く行っても、何人かは間違いなく撃ち殺される」
 
 
 震える男の声に、金田は事も無げに言葉を返した。平然と酷薄な言葉を吐く金田の姿に、中年男があんぐりと唇を開く。その唖然とした顔を見返しながら、金田は薄く嗤った。
 
 
「良くて十数名、下手すりゃここにいる人間の殆どが死ぬかもしれない。だが、それがどうしたって言うんだ。あんたらの生き死になんざ、俺には関係ない」
「あっ…あんた、俺達を助ける気があるのかよ…」
「助ける気なんざねぇよ。言っただろう? 俺は、お前らを逃がしに来ただけだ。逃がそうとしたっていう建前さえ出来りゃ、ここに居る全員が撃ち殺されようが別に構やしねぇよ」
 
 
 あまりにも非道な金田の台詞に、中年男がわなわなと全身を震わせ始める。影達からも静かに憤怒の気配が立ち上っていくのを感じた。無数の剣呑な視線が、金田の全身へと突き刺さる。
 
 いきり立った中年男が金田へと向かって、責め立てるような声をあげる。
 
 
「お前みたいな奴の言うことなんか聞ける訳ないだろうが…! 俺達をモノとでも思ってるのか…!」
 
 
 噛み付くような中年男の声に、金田は一瞬小馬鹿にするように鼻を鳴らした。だが、その嘲笑は自嘲と紙一重だと自分で気付いていた。
 
 
「俺だって『モノ』だ」
 
 
 そう淡々と言い放つ。中年男は金田の言葉の意味が理解出来なかったのか、怪訝そうに眉を顰めた。その胡乱げな表情を見据えたまま、金田は面倒くさそうに言った。
 
 
「撃ち殺されるのは、お前等かもしれない。俺かもしれない。今この状況で、あんたらと俺に何か違いがあるのか?」
 
 
 冷めた声で言い放って、金田は薄く目を細めた。中年男が戸惑ったように、視線を小さく左右に揺らす。
 
 
「そ、れは…」
「逃げ出せば、勿論殺されるかもしれない。だが、生き残る可能性もある。その確率がどの程度のものかは俺は知らないし、考えようとも思わない。だが、一つだけこれだけは『絶対』だと言える」
 
 
 それは何かと問うように、影達が金田をじっと仰ぎ見る。何百もの眼球を見据えながら、金田は囁くように言った。
 
 
「このまま此処で天子様に祈ってるだけなら、明日には全員死ぬ」
 
 
 死にたいなら、此処に居ろ。そう吐き捨てた酷薄な言葉に、影達が一気に硬直するのが解った。まるで石のように固まったまま、影達はまるでおぞましい物でも見るかのように金田を見上げている。
 
 張り詰めた沈黙が続く。その静けさを破ったのは、先ほどの少女の声だった。
 
 
「わたし、あなたと一緒にいってもいい?」
 
 
 そっと訊ねてくる声に、金田は鷹揚に頷いた。
 
 
「あぁ、好きにしろ」
「リン…!」
 
 
 金田の声に重なるようにして、少女の祖父の悲痛な声が響いた。どうやら少女はリンという名前らしい。咎めるような祖父の声に、リンは大きな目をパチリと瞬かせて、こう言った。
 
 
「おじいちゃん、わたし、パパみたいに死にたくない」
 
 
 少女の祖父が息を呑む。少女は、祖父の驚愕など意に介さぬように淡々と言葉を続けた。
 
 
「こんな檻のなかで、何にもできずに死ぬのはいやなの。どうせ死ぬなら、お空のしたで死にたい。ねぇ、わたし、なにか間違ってる?」
 
 
 少女がかくりと小さく首を傾げる。だが、誰も何も答えなかった。きっと答えを知っているものは誰もいなかった。再び流れ始めた沈黙を打ち切るように、金田は低く声をあげた。
 
 
「着いてきたい奴だけ着いてくればいい。残りたい奴は残れ。自分の命の選択は、自分でしろ」
 
 
 それは突き放す言葉だった。だが、金田は誰よりも深く知っていた。誰かの命を、他人が選択する事は出来ないという絶対的な事実を。
 
 手に持っていた黒い塊に信管を挿し込む。黙々と準備をし始めた金田へと、背後から声が掛けられた。少女が物珍しそうな眼差しで、金田をじっと見つめている。
 
 
「ねぇ、あなたは誰?」
 
 
 訊ねられた言葉に、金田は小さく口角を吊り上げた。仰々しく自分の名前を言うのも馬鹿馬鹿しいと思って、投げ遣りな口調で言い放つ。
 
 
「俺は『捨て駒』だ」
「すてごま、さん? へんな名前ね」
 
 
 少女の素直な感想に、思いがけず笑いが零れた。その小さな笑い声は、暗い地下に淡く響いて消えた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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