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44 慈悲

 
 西国軍駐屯基地に轟音が響き渡ったのは、日が傾き掛けた時刻だった。
 
 大気をびりびりと震わせる地響きと共に、地面が上下に揺さぶられる。基地にいた兵士達は咄嗟に壁や棚に貼り付き、そして揺れが収まった次の瞬間には誰もが武器庫へと走り出していた。この轟音が意味するものとは、敵襲以外の何物でもないからだ。静かだった基地内が俄にざわめき立ち、不穏な空気へと呑まれていく。
 
 『不穏』は褪せた火薬のような臭いだな、と金田は頭の片隅で考えた。古びて、微かにカビが生えた薬莢を嗅いだときの臭気に似ている。
 
 
 半壊した鉄格子を潜り抜け、四散した瓦礫を跳び越えて、地下室の階段を一気に駆け上がる。駆け上がる途中、土埃の奥から人影が飛び出してきた。西国軍兵士は、金田の左胸へと向かって銃剣を突き出している。
 
 金田は、咄嗟に銃剣の銃身を下から左手で掴み、頭上へと勢いよく持ち上げた。銃身の下へと潜り、敵兵の胸元へと飛び込む。驚きに目を見開く敵兵の顔面を真正面から右手で鷲掴み、駆ける勢いのまま敵兵の身体を後方へと叩き付ける。階段へと後頭部を強打した敵兵は、果実が割れたような音を咽喉から漏らして、ビクビクと四肢を痙攣させた。その手から銃剣をもぎ取って、金田は再び階段を駆け上がった。
 
 
「止まるな! 走り続けろッ!」
 
 
 後方から階段を駆け上る幾百もの足音が聞こえる。その音が淀む度に、金田は振り返りもせずそう叫んだ。
 
 圧倒的に時間がなかった。轟音の発生源が地下牢だと突き止められるのに、おそらく数分も掛からない。その数分の間に地下から抜け出さなければ、再び地下へと押し込められて皆殺しの目にあうのは解り切っていた。
 
 
 階段を駆け上がった出口に、見張り兵の姿が見えた。まだ経験浅い新兵なのか、金田の姿を見ても、銃剣を抱き締めたまま立ち尽くしている。狼狽を色濃く滲ませるその面を見上げながら、金田は飛び出しざまに銃剣を見張り兵の咽喉へと向かって突き上げた。
 
 銃剣の切っ先に柔らかい咽喉の肉、その瞬息後に刃先と頸椎がガリガリと擦れ合う歪な感触が走る。咽喉を貫かれた見張り兵は、まだ自分に起こった事を理解していないかのように唇をパクパクと上下させた。だが、咽喉を裂かれているので悲鳴を上げる事は出来ない。
 
 咽喉を貫く剣先を一気に引き抜く。途端、噴水のような勢いで血潮が空中へと迸った。唇からもゴボゴボと血を垂れ流し始めた見張り兵を地面へと蹴り倒しながら、金田は素早く周囲へと視線を巡らせた。
 
 地下牢出口は、中庭へと続いている。遮蔽物のない中庭は、四方を建物で囲まれていた。
 
 
 建物から中庭へともう一人の見張り兵が駆け出して来る。金田は迷わずその見張り兵へと銃口を向けた。銃床を肩へと押し当て、即座に引き金を引く。乾いた発砲音と共に、銃口から飛び出した銃弾が見張り兵の左胸を一気に貫く。
 
 血を撒き散らしながらガクンと仰け反った敵兵の身体を視界に映しながら、金田は前方の建物へと向かって駆け出した。仰向けに倒れた敵兵の腰に括り付けられていた手榴弾を走りざまに抜き取る。金田の後に続いて、人質の村人達が駆けて来た。
 
 
 だが、頭上から乾いた発砲音が響いたと同時に、駆けて来ていた村人の一人がつんのめるようにして倒れた。続けざまに二三人が撃たれて倒れ伏す。建物の上階から射撃されている、と気付いた瞬間、金田は腹の底からがなり立てていた。
 
 
「建物の中に走れッ! 倒れた奴は拾うなッ!」
 
 
 それでも、撃たれた男を必死で引き摺ろうとしていた女が額を撃ち抜かれて屍の一つへと変わる。その時、気が付いた。足を撃たれた白髭の老人を、一人の少女が必死で引っ張ろうとしている。それは先ほど暗闇の中で、金田へと『死にたくない』と訴えた少女、リンだった。
 
 
「見捨てろッ! そいつは連れていけないッ!」
 
 
 金田の声が自分に向けられたものだと気付いたのか、リンが顔面を歪ませる。それはまだ十にも満たない少女のものとは思えないほど、悲痛な色を滲ませていた。
 
 
「ダメっ! わたしのおじいちゃんなのっ!」
「お前も死ぬぞッ!」
「やだあぁ!」
 
 
 先ほどまでの大人びた態度が嘘のように、リンは頑是のいかない子供のように喚いた。その叫び声を聞いた瞬間、脳天に猛烈な勢いで憤怒が噴き上がってきた。こんな時まで善良であろうとする少女の心が、どうしてだか金田には酷く許し難かった。
 
 その瞬間、見捨てようと決めた。あの生きたいと願った少女を見殺しにしよう、と。だが、踵を返そうとした瞬間、地面に倒れ伏す老人と目が合った。合ってしまった。
 
 老人の潤んだ瞳は、金田を真っ直ぐ見つめている。その眼差しは、確かに何かを訴えていた。その訴えに気付いた瞬間、金田は顔面を激しく歪めた。そうして、すべてが許し難い、と呪った。この世界は、吐き気を催すほど醜悪で不愉快で、呪わしい。
 
 だが、呪いながらも身体は勝手に動き出した。手榴弾のピンを引き抜いて、建物から飛び出しざまに二階から射撃していた敵兵へと向かって投げ付ける。脳内で秒数を数える。
 
 数秒後、頭上建物内から猛烈な爆発音が響いて、霧のような血と粉々になった破片が降り注いできた。鼓膜がぢぃんと痺れて、瞬間無音の世界が訪れる。
 
 無音の世界の中、金田はリンへと向かって走った。老人の腕をなおも引っ張ろうとするリンの身体を、片腕で浚って行く。それと同時に、飛んできた銃弾に老人の胸部が撃ち抜かれるのが見えた。瞬間、リンの掠れた泣き声が聞こえた気がした。だが、金田は無視した。見殺しにした老人の姿も、二度と見なかった。
 
 リンを片腕に抱えたまま、建物の中へと駆け込む。若い村人へとリンを押し付けて、噛み付くように言い放つ。
 
 
「こいつを一緒に連れて行け」
 
 
 リンを押し付けられた若者が狼狽したように視線を揺らす。リンは若者の腕の中で悲鳴にも似た叫び声を上げている。そうして、金田を睨み付けると、その小さな掌で金田の頬を強く打ち据えた。パンッと小さな打擲音が響く。
 
 
「なんで、なんでよっ! どうして、おじいちゃんを見捨てたのっ! わたしの最後の家族だったのにッ!」
 
 
 子供らしい幼い感傷を、金田は鼻で嗤った。微かに痺れる頬を感じながら一息に吐き捨てる。
 
 
「死にたいなら勝手に死ね」
 
 
 同情も慈悲もなく、非情なまでに端的に突き付ける。瞬間、リンの顔が憎悪に激しく歪んだ。
 
 
「この…人でなしの畜生ぉ! 恨んでやるっ! 一生、あんたを恨んでやるッ!」
 
 
 突き付けられる憎悪の言葉に、金田は口角を酷薄に歪めた。人でなしの畜生だなんて、そんなことは今更言われなくても解っている。リンの悲哀と憎悪に歪んだ顔を二目見ぬうちに金田は走り出した。
 
 
「城門まで走れ! 遅れた奴は置いていく!」
 
 
 時間の猶予はない。既に敵兵達は、この場所へと集合しつつあるはずだ。そうして、城門の封鎖が行われれば、この逃亡劇も一巻の終わりだった。
 
 
 城門へと向かって全力疾走しながら、金田は先ほどの行動を思い返しては胃液が逆流するような後悔を噛み締めていた。
 
 どうして見捨てなかった。どうして助けた。わざわざ命を救ったにも関わらず、金田はただ恨まれただけではないか。何故恨まれなければならない。自分の命を危険に晒してまで少女を助けたのに、その結果がビンタと罵声だなんて巫山戯ている。だが、リンの命を助けたこと自体が金田のエゴでしかなかったのだろうか。リンにとっては、余計なお世話でしかなかったのかもしれない。嗚呼畜生、何もかも糞食らえだ。だが何よりも一番腹立たしかったのは、リンを助けてしまった自分自身の甘さだった。
 
 悔恨にも似た憎悪が脳天まで突き上げてくる。現れる敵兵を薙ぎ倒し、幾人刺し殺しても、その憎悪は消えなかった。
 
 
 そうして、曲がり角を曲がろうとした瞬間、不意に眼前へと二人の敵兵が飛び出して来た。一人は銃剣で腹を貫いたが、もう一人は既に金田の胸部へと剣先を突き刺そうとしている。
 
 息を飲んだ次の瞬間、目の前の敵兵の後頭部が銃床で叩き割られていた。頭蓋骨が割れる鈍い音が響き、血と脳漿が眼前で弾け飛ぶ。顔面へと飛び散った脳漿を手の甲で雑に払いながら、金田は曲がり角から現れた新たな影へと視線を向けた。
 
 
「中尉、お怪我はありませんか」
 
 
 目の前に、西国軍の軍服に身を包んだ葛之宮が立っていた。金色の髪に蒼い瞳を持った男は、西国の人間にしか見えなかった。葛之宮の手には、血に染まった長銃が握られている。
 
 
「あぁ。城壁砲弾兵はどうした」
「全員“処理”しました」
 
 
 『処理』という単語に、金田は薄く嗤った。その見た目で安心させながら城壁から見張る砲弾兵を皆殺しにしたのかと思うと、思わず噴き出しそうになった。
 
 このお坊ちゃんじみた男は、普段平和ボケした綺麗事ばかりを吐きやがるくせに、いざ戦場になると人が変わったように残虐非道になる。戦闘を重ねるごとに、その残忍さは顕著になるばかりだ。それが金田にはほんの少し愉快だった。矛盾しているようで、本人はちっとも矛盾している自覚がないのだから可笑しい。本質的に気が狂っているのは、こういう男なのかもしれないとすら思う。
 
 金田の考えも知らず、葛之宮が口早に続ける。
 
 
「砲台を破壊しましたので、城壁からの砲撃は暫く不可能かと思われます」
「良し。お前は先導を切れ。俺は後方を見張る」
「殿(しんがり)は部下の務めです」
「お前が先導を行った方が敵が油断する」
 
 
 敵兵達も、一目見ただけでは金髪碧眼の男が自分たちの敵だとは判断できないだろう。その一瞬の油断が弱みになる。金田は葛之宮の左胸を拳で叩いて、短く言葉を吐いた。
 
 
「邪魔する奴は全員殺せ。『血路』を開け」
 
 
 文字通り、敵兵の血に塗れた路を作り上げろ、と酷薄に命じる。途端、葛之宮はぶるりと皮膚を震わせた後、その口元におぞましいほど綺麗な笑みを浮かべた。
 
 嗚呼、やっぱりこいつは正真正銘の『気狂い』だ。死を恐れ、死を憎み、死を哀しみながら、殺戮を愉しんでやがる。しかも、性質が悪いことに、殺戮に熱狂するのではなく、冷静に理性的に、殺戮を愛おしんでいるのだ。ある一種、非常に稀有で、そして危険な人種だと思う。一歩間違えば世紀の大虐殺者にでもなりそうだ。きっと葛之宮本人は、自分の本質にまだ気付いてはいないだろうが。
 
 
「承知致しました。必ずや『血路』を切り開いてみせます」
「宜しい」
「どうか中尉もご無事で」
 
 
 葛之宮は、自身の左胸に押し当てられた金田の拳をそっと掴んだ。祈るように拳を掌で包まれて、金田は酷く狼狽した。どうしてだか、目の前の男の体温が酷く苦手だった。お人好しなくせに気狂いで、金田の傍にいたいと言い放った奇妙な男。
 
 苦々しさにも似たむず痒さが込み上げてきて顔が歪みそうになる。だが、金田の顔が歪むよりも先に、葛之宮の手が離れた。葛之宮は倒れた敵兵の手から銃剣と手榴弾をもぎ取ると、村人達を先導して駆け出した。
 
 
 葛之宮に続いて走っていく村人達を眺める。最初は百名以上いた村人達の数が、いつの間にか三分の一以上減っていた。後方を振り返ると、走ってきた廊下には村人達や敵兵の死体が転がっていた。
 
 命を踏み躙りながら進んでいる、とその時不意に思った。だが、それは今に始まった事ではない。生まれた時から、金田は何かを犠牲にしながら生き延びてきた。だから、今更後悔することも懺悔することもない。自分が死なせた人間を見ても、何も感じたりはしない。否、感じてはならない。
 
 ふっと脳裏を過ぎった思考を頭の外へと追いやりながら、金田は最後尾を走り出した。
 
 後方から敵兵が現れる度に、後ろ向きに駆けながら、時に遮蔽物に身を隠しながら射撃する。撃たれて走れなくなった村人は、容赦なく見殺しにした。助けて、置いていかないで、と泣き咽ぶ声を、金田はすべて黙殺した。金田は、一切の慈悲を与えなかった。
 
 

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Published in 地平の戦争

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