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45 獣達の路

 
 前方から激しい銃声が聞こえてくる。その音は、基地城門の方から響いていた。
 
 どうやら城門近くまで辿り着いた葛之宮達へと向かって、門兵が一斉射撃をしているようだった。金田が窓から視線を城門の方へと向けた瞬間、がなり立てるような西国語が聞こえた。その声には聞き覚えがある。葛之宮の声だ。
 
 門兵の射撃が止まった瞬間、建物から二つの影が出てくるのが見えた。両腕を後ろに回された葛之宮が村人の一人に後頭部に銃口を押し付けられたまま、覚束ない足取りで門兵達へと近付いていく。
 
 また、葛之宮が西国語で何事かを叫ぶ。その焦燥を滲ませた叫び声に、金田は思わず笑みを滲ませた。どうやら葛之宮は、村人に人質に取られた将校を演じているらしい。
 
 
 そうして、門兵達との距離が十メートル程度になった時、葛之宮が後ろ手に回していた両手をふっと前方へと振り上げた。その掌から二つの手榴弾が門兵達へと向かってそれぞれ転がっていく。葛之宮と村人が地面へと伏せると同時に、激しい爆音と共に手榴弾が炸裂した。
 
 手榴弾というものは、斜め上方へと向かって爆撃を噴き出す構造になっている。だからこそ、地面に伏した人間に対しては効力を殆ど発揮しない。爆風を逃れた葛之宮は、即座に立ち上がると、上半身や顔面に金属片が突き刺さって悶える門兵へと駆け寄り、容赦なく短刀でその首を掻き切った。血に塗れた路が作られる。
 
 門兵を皆殺しにすると、葛之宮は村人達へと合図を送り、城門を開き外へと逃げるように誘導していく。開かれた城門を見て、金田は後方を走る村人達へと叫んだ。
 
 
「城門が開いた! 走れ、死ぬ気で走れッ!」
 
 
 その声を皮切りに、息も絶え絶えな様子で走っていた村人達が凄まじい形相で駆ける足を早める。その後ろを、金田も続いた。
 
 
 開かれた城門から次々と村人達が逃げ出して行く。金田も城門から出ようとした瞬間、不意に左膝からカクリと力が抜けるのを感じた。ガクンと膝が折れて、身体が糸の切れた人形のように地面へと転がる。
 
 一瞬、何が起こったのか解らなかった。だが、身体を捻るようにして足下を見下ろした瞬間、理解した。左脛から血が溢れ出している。どうやら撃たれたらしい。
 
 視線を更に後方へと向けると、建物から飛び出してきた敵兵が金田へと銃口を向けているのが見えた。駆け寄ってきた敵兵が金田の首元へと腕を回し、無理矢理引き起こす。瞬間、左脛に焼き杭を突き刺されたかのような激痛が走った。
 
 
「中尉!」
 
 
 城門付近にいた葛之宮が悲痛な声を上げる。その声を聞いて、金田は反射的に叫んだ。
 
 
「さっさと行けッ!」
 
 
 そう叫んだ瞬間、自分も見捨てられる側になったのだと悟った。リンの祖父を見殺しにしたように、自分も見殺しにされる。その事を理解しながらも、金田の心には悲哀も絶望も無かった。ただ、いつか来るべき順番が今来たのだとしか思わなかった。
 
 だが、金田の胸中に反して、葛之宮はその場から立ち去ろうとはしない。まるで迷子になった子供のように顔をくしゃくしゃに歪めて、葛之宮は悲鳴のような声を張り上げた。
 
 
「貴方を置いていかないッ!」
 
 
 理解出来なかった。顔が怪訝に歪むのを堪えきれなかった。一体こいつは何を言っているんだと思う。敵兵に捕まった味方など見捨てるのが当たり前なのに、それを置いていかないと言い放つ。その甘えが堪らなかった。こんな地獄よりも地獄らしい戦場で、どうして目の前の男は、最後の最後だけは人間であろうとするのだろうか。
 
 一瞬目蓋の裏が真紅に染まるほどの憤怒を覚えた。撃たれた痛みを凌駕するほどの怒りが全身に満ちる。
 
 
——どうして、俺を見捨てない。俺は助けてくれなんて、誰にも一言も言っていないのに。
 
 
 金田を拘束する敵兵は、短銃を金田のコメカミへと押し付けたまま、葛之宮へと西国語で何事かを叫んでいた。自分達と同じ姿をした裏切り者へと呪詛を喚き散らしているようだ。
 
 敵兵の喚き声を聞いて、葛之宮がふっと頬を歪める。嘲るような、呆れたような、そんな非情な面だった。
 
 
「裏切り者はどちらだ。お前達が母を売り飛ばしたくせに」
 
 
 東国の言葉で、葛之宮はそう吐き捨てた。その瞬間、金田は気付いた。
 
 葛之宮は、心の底で恨み続けているのだ。母を敵国へと売り渡した祖国を、自分を居場所のない国へと追いやった西国を。恨み、呪い、そして今『復讐』しているのだ。西の姿をした自分が西国の人間を殺戮する事で、自身の奥で燻る憎悪を晴らしているのだ。
 
 気付いた瞬間、ぞっとした。何が博愛主義者だ。目の前の男は、徹底的なまでの差別主義者だ。救う命と刈り取る命を、極端に差別している。だからこそ、戦闘になった途端、おぞましいほどに非道になれるのだ。
 
 
 葛之宮が敵兵へと西国語で言葉を投げる。それに応える敵兵の声は、微かに震えていた。声だけでなく、金田の首へと回された腕もぶるぶると戦慄いている。
 
 葛之宮が敵兵を見据えたまま、一歩足をこちらへと進める。その動きに怯えたように、敵兵が金田のコメカミから銃口を外して、葛之宮へと向けた。
 
 その次の瞬間、城門の遙か向こうでチカリと何かの光が煌めくのが見えた。頬の横を風が切るのと同時に、後方に立っていた敵兵の身体が金槌で殴られたかのようにガクンと後方へと仰け反った。敵兵の身体が倒れるのに引き摺られそうになる。地面へと転がりそうになった瞬間、二本の腕が金田の身体を抱き留めていた。
 
 
「走ります、肩に捕まって下さい」
 
 
 そう忙しなく言われて、片腕を葛之宮の肩へと担がれる。そのまま左足を引き摺るようにして、金田と葛之宮は駆け出していた。肩越しに振り返ると、金田を捕らえていた敵兵の脳天にポツンと小さな穴が空いているのが見えた。地面へと溢れ出す血潮を眺めて、金田は葛之宮へと短く訊ねた。
 
 
「お前がやったのか」
「いいえ、おそらく目黒さんです」
 
 
 目黒、という一言に合点がいく。後方支援として、目黒には離れた位置から城門を麒麟で狙わせていた事を思い出す。
 
 
「先に逃げ出した人達は、南さんや石川さん達が誘導して基地まで連れて行ってくれているはずです。僕らも早く合流しましょう」
 
 
 そう口早に述べて、葛之宮が駆ける速度を速める。撃たれた左脛には既に痛覚はなく、ただ倦怠感にも似た疼きを感じるだけだ。溢れ出した血が靴の底まで染み込んで、歩く度にぐじゅぐじゅと湿った音を立てるのが気色悪かった。
 
 
「靴、が」
「靴がどうしましたか?」
「気持ち悪い」
 
 
 ぽつりと零すと、葛之宮が駆けながら荒い息混じりに小さく笑い声を漏らした。
 
 
「ふ、我慢して下さい」
 
 
 まるで子供を我侭を聞いたかのような、その和やかな声が無性に気に食わなかった。蹴り付けてやりたくても、膝に力が入らないのが悔しくて堪らない。
 
 その時、不意に上空背後から高らかな声が聞こえて来た。
 
 
『ハウンドッ!!』
 
 
 肩越しに振り仰ぐと、城壁の上に一人の男が立っているのが見えた。その男は金色の髪を熱風に靡かせながら、真っ直ぐ金田を見下ろしている。遠く離れているのに、その爛々と輝く蒼い瞳は、はっきりと金田の視界に映った。
 
 
「誰だ」
「ルイ・ベネディクト少尉と名乗った男です。ですが、おそらく偽称でしょう」
「あいつは何と言っているんだ」
「ハウンド、猟犬と」
「猟犬?」
「…西国軍で、中尉はそう呼ばれているようです」
 
 
 バツが悪そうに告げられた言葉に、金田は咄嗟に怪我も忘れて噴き出していた。笑いに背中を震わせて、込み上げてくる滑稽さを堪える。
 
 そうして、金田は唐突に立ち止まると、くるりと後ろを振り向いて吼えた。狼のような咆哮を、咽喉の奥から吼え上げる。一瞬本当に自分が一匹の獣になったかのような愉快な感覚だった。
 
 ぎょっと目を見開いた葛之宮が慌てて金田の肩を掴んで、引き摺るようにして再び走り出す。その遙か後方で、何とも愉しげな笑い声が聞こえた気がした。
 
 
 
***
 
 
 
『は、ははっ、吠えた! ハウンドが吠えたぞ! 聞いたか、アルキンス!』
『勿論、聞いていましたとも』
『ふは、はっ、面白いなァ! あいつは物凄く面白い奴だ!』
『そんな事よりも、先にこの状況をどうにかして頂けませんか、カルロア少将』
 
 
 高揚したカルロアの声に被さるようにして、サム・リー副官の冷めた声が響く。その声に、カルロアはのんびりとした仕草で振り返った。
 
 そこには、アルキンスとサム・リー副官に取り押さえられたボーヴァワール中将とその愛人の姿がある。二人とも首元に短刀を押し付けられて、酷く強張った表情でカルロアを凝視していた。
 
 ボーヴァワール中将が引き攣った声を上げる。
 
 
『貴様…どういうつもりだ…』
『どういうつもり? 閣下の素晴らしい頭でしたら、言わずとも理解して頂けるのではないでしょうか?』
 
 
 わざと弄ぶように曖昧な言葉を吐き出す。カルロアは背中を城壁を囲う塀へと預けたまま、リラックスした様子で微笑んだ。
 
 
『こんな事をして、ただで済むと思っているのか』
『こんな事とは一体何ですか? 例えば…』
 
 
 指先を軽く動かして、ボーヴァワール中将を押さえ付けるアルキンスにこちらに近付くように促す。城壁の塀の上へとボーヴァワール中将の肥大した身体を半分乗り上げるようにして押し付ける。城壁の塀の向こうは、何十メートルもの下の地面だ。
 
 一気に引き攣ったボーヴァワール中将の顔を横から覗き込みながら、カルロアは和やかに言葉を続けた。
 
 
『例えば、捕虜が逃走したことによってボーヴァワール中将は悲しきことに気が触れてしまい、国獣セイヴァーのクリスタルを破壊した上、愛人と共に城壁より身を投げて自死なさってしまった、などという世にも恐ろしい作り話をする、とかでしょうか?』
『き…貴様…狂ったか…』
『いいえ、私は狂ってはいません。狂っているのは閣下、貴方の方です。いい加減現実を見たらどうですか?』
『現実、だと?』
『このまま貴方が指揮し続ければ、我々の損害が増え続けるという事です。残念なことに閣下、貴方には戦争の才能がありません。その上、性質が悪いことにその自覚がない。ですから、千二百名も無駄死にさせてしまうのです』
 
 
 至極残念そうな口調でカルロアは言った。対してボーヴァワール中将は、酷く憎々しげな表情でカルロアを見つめている。
 
 
『…貴様は、傲慢だ。自分なら兵達を殺さずに勝利を収められるとでも言うつもりか。それこそ愚かなことだ…』
『勿論、私も兵達を殺すでしょう。何百も何万人も、兵達の命を私は当たり前のように消費していく事でしょう。ですが閣下、私は負けません。兵達の死を、決して無駄には致しません』
 
 
 朗々としたカルロアの声音に、ボーヴァワール中将の顔が醜く歪んでいく。その醜悪な表情を眺めながら、カルロアは殊更華やかな笑みを頬に浮かべて言った。
 
 
『ですから閣下、貴方の死も無駄ではありません。貴方が死ねば、兵達が無駄死にすることはなくなります。どうか、我が祖国のために、その命を礎として捧げて下さい』
 
 
 そう囁いた瞬間、ボーヴァワール中将の顔に紛れもない恐怖が浮かんだ。ボーヴァワール中将の身体を塀へと押し付けていたアルキンスの腕に力が込められる。
 
 
『ま、待て…カルロアッ』
『閣下、一度吐き出した言葉は、二度と自分の口には戻らないのですよ』
 
 
 つまり、もう遅いのです。カルロアは仰々しい仕草で一礼を送ると、唇を引き裂くようにして笑った。その瞬間、ボーヴァワール中将の身体が視界から消えた。同時に、劈くような悲鳴が聞こえてくる。だが、その悲鳴も何かが潰れるような音と共に消えた。
 
 城壁の下を覗き込むと、真下に真っ赤なトマトが潰れたような跡が見えた。その跡を、カルロアは何とも朗らかな表情で眺めた。
 
 
『…しょ、少将…』
 
 
 その時、不意に震える声が聞こえた。サム・リー副官に抑え付けられた愛人がガクガクと膝頭を震わせている。その様子を一瞥して、カルロアはつまらなさそうな声で呟いた。
 
 
『サム、早く落とせ』
 
 
 その一言に、愛人の震えが更に大きくなる。愛人は母親に縋るような眼差しでサム・リー副官を見つめた。
 
 
『…ま、マリー…助けてください…。わ…私は、貴方に言われたとおり…中将をここまで連れてきたじゃありませんか…。どうか、見逃してください…』
 
 
 懇願する愛人の声に、カルロアは視線をサム・リー副官へと向けた。
 
 
『サム、どうする?』
 
 
 まるで試すようにカルロアは、サム・リー副官へと訊ねた。サム・リー副官は、一瞬不愉快そうに鼻梁に皺を寄せた後、酷く冷め切った声でこう吐き捨てた。
 
 
『恥知らずな男妾に、マリーなどと呼ばれる覚えはありません』
 
 
 瞬間、愛人の顔に浮かんだのは見るも耐えない悲痛だ。つい先日まで優しく接してくれていた女性が一瞬で羅刹へと変わったのだから絶望するのも無理はない。
 
 茫然自失状態になった愛人を眺めて、カルロアは小さく笑った。
 
 
『すまないね、君を死なせる理由はあっても、生かしておくだけの価値はないんだ』
 
 
 秘密を知った人間を生かしておけば、それだけリスクを背負わなくてはならない。そのリスクを背負うだけの価値が目の前の愛人にはなかった。
 
 残酷な言葉を平然と吐き捨てて、カルロアは緩く欠伸を漏らしながら空を見上げた。その瞬間、横からか細い悲鳴が聞こえたけれども、カルロアは視線すら向けなかった。城壁の下では、今頃二つ目のトマトが潰れている。
 
 両手を神経質に叩きながら、サム・リー副官が暢気に空を見上げるカルロアをねめつけてくる。
 
 
『当初の予定では、ボーヴァワール中将は“国に返す”のではなかったのですか?』
『返すさ、死体としてね』
 
 
 悪びれる様子もなく答えるカルロアに、サム・リー副官の眼差しが尖っていく。その責め立てるような眼差しに、カルロアは緩く肩を竦めた。
 
 
『どうした、殺したのが不服なのかい』
『いいえ、貴方はボーヴァワール中将を完璧に排除すべきでしたし、この結果には非常に満足しています』
『なら、一体何をそんなに怒っているんだ』
『何故むざむざとハウンドを逃したのですか』
 
 
 噛み付くようなサム・リー副官の台詞で、ようやくカルロアは彼女が怒っている理由を把握した。短く笑い声を漏らしながら、緩く首を傾げて答える。
 
 
『別にわざとじゃないさ』
『いいえ、わざとです。だって、貴方、今とても愉しそうです』
 
 
 そう指摘されて、カルロアは堪え切れずに噴き出してしまった。げらげらと下腹を抱えて笑い出したカルロアを見て、サム・リー副官が面食らったように目を瞬かせる。そうして、傍に立っていたアルキンスが呆れたように溜息を漏らして呟いた。
 
 
『遊び相手は決まりましたか?』
 
 
 アルキンスは、カルロアを誰よりも深く理解している。その歪んだ嗜好や長年の渇望を。カルロアは口元を綻ばせたまま、まるで子供のような仕草で小さく頷いた。
 
 
『あぁ、もう既に恋しくて堪らないよ』
 
 
 そうだ、この情動は恋しさによく似ている。今すぐ会いたい。彼と目を合わせたい。彼に触れたい。彼の皮膚を優しく愛撫して、その肉ごと引き裂いてやりたい。快楽と苦痛の淵へと、この手で叩き落としてやりたい。
 
 今にも全身を食い破って溢れ出しそうな衝動を、必死で皮膚の下へと抑える。カルロアはその唇に艶美な笑みを浮かべると、風に乗せて囁いた。あの薄汚く獰猛で、そしておぞましいほど美しい獣へと届くように。
 
 
『早く、私のところにおいで』
 
 
 その時、喉笛を噛み千切られるのは一体どちらか。想像するだけで、全身が震えるような高揚に包まれた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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