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51 幽鬼兵

 
 頭上に、突き抜けるような青天が広がっている。頬を撫でる風は、僅かに冷気を含み、秋の訪れを知らせてくれる。乗っている馬の鬣を撫でると、さらりと冷たい感触を指先に感じた。栗毛の馬が小さく鼻息を漏らす。まだ若い雄馬だ。
 
 臼長井基地を出て、すでに七日が経とうとしている。金田中尉率いる二十二名の小隊は、東国首都である天都へと向けて、着々と歩を進めていた。
 
 軍服の胸元から、小さく折り畳んだ地図を取り出す。この七日間でかなりの行程を進んだ。おそらく本日の正午には、天都の大門をくぐっているのではないか。そう予想を立てていると、前方から焦茶の馬が近付いてくるのが見えた。乗っているのは石川曹長だ。
 
 
「少尉殿、今宜しいでしょうか」
「どうしましたか?」
「天道殿がお呼びです。金田中尉は先に馬車へ入っておられますので、少尉殿も来て欲しいと」
「…あの馬車にですか…」
 
 
 たまらず溜息を漏らしてしまっていた。石川曹長が気の毒そうに葛之宮を見ている。ちらと視線を右方向へと向ける。視線の先で、巨大な長方形の箱が砂煙を上げて走っているのが見えた。馬十頭の馬力で引かれた二階建ての巨大馬車、その馬車の前方には皇族のみが使うことを許された鴉の紋様が彫られている。黒一色の鉄の箱は、遠くから見ると巨大な棺桶のようにも見えた。動く棺だ。
 
 その棺桶の周りを取り囲むようにして、二十頭以上もの黒馬が駆けている。乗っているのは皇族を守る近衛兵たちだ。身元を隠すためか、まるで黒子のような黒い簾で目元が覆われている。
 
 馬車も近衛兵も、一言で言えば不気味だ。動く棺桶の周りを、まるで亡霊のように纏わりつく黒馬の群れ。その光景から沸き上がるのは皇族に対する畏敬ではなく、単なる恐怖だ。共に天都へと向かい始めたものの、金田中尉の隊と近衛兵との交流は一切ない。葛之宮の印象から言えば、黒衣の幽霊に無言で追いかけられているような感覚だった。
 
 
「こんな事を言うと不敬に当たりますが…正直気味が悪い連中です。顔も隠して、こちらに喋り掛けても来ないですし…」
 
 
 石川曹長が声を潜めながら呟く。不敬に当たると解りながら、それでもあの不気味さに口に出さなくてはいられなかったのだろう。
 
 
「近衛兵は皇族に仕えることが決まると、それまでの人生をすべて捨てなくてはいけないそうです。決して家族が自身の弱みにならないように身元を隠して、本当の名さえも失って」
「だから、近衛兵は『幽鬼兵』と呼ばれるのですか」
 
 
 近衛兵たちは、軍部から揶揄混じりに『幽鬼兵』と呼ばれる事がある。出自を捨て、名を捨て、それこそ亡霊のように皇族に付き従う姿からそう呼ばれ始めたらしい。今思うと、酷い皮肉だ。
 
 
「何にしても、凄まじい忠誠心です」
 
 
 個として生きる人生を捨て、亡霊と呼ばれる人生を歩む。強い忠誠心、愛国心がなければ耐えられないであろう。
 
 僅かな怖気を感じながらも、葛之宮は小隊から離れ、近衛兵が囲む馬車へと近付いていった。馬車から十メートルほどの距離で、黒馬に跨がった男が近付いてきた。その男の目元も、黒い簾で覆われている。
 
 
「葛之宮文紀様でいらっしゃいますか」
「はい」
「私は天道光一様専属の第四近衛隊の隊長をしております、百足と申します。我が君が馬車の中にてお待ちです。どうぞこちらへ」
 
 
 思いがけず、まだ若い声だった。ムカデ、と名乗った男は、二十代後半か、もしかしたらまだ二十歳中頃を少し過ぎたくらいかもしれない。黒い簾の下から覗く鼻筋はすっと伸びており、その下の顎は少年のように細い。
 
 
「あの、百足殿はお幾つなんですか」
 
 
 思わず訊ねていた。先に馬車へと向かっていた百足が肩越しに振り返る。
 
 
「私に年齢はありません。私だけでなく此処にいる全員、歳も生まれた日も、何も持っていないのです」
 
 
 淡泊な答えに、僅か背筋に悪寒が走るのを感じた。身体を強ばらせた葛之宮から視線を逸らして、百足が馬車へと寄っていく。馬車と併走しながら、馬車側面に作られた鉄扉を叩く。すると、鉄扉が内側から開かれた。
 
 
「どうぞ中へ。馬は押さえておきますので、このまま中へ飛び移ってください」
 
 
 差し出された百足の手へと手綱を預ける。そのまま馬上から馬車へと向かって、葛之宮は一息に飛び移った。着地するなり、内側に立っていた小柄な男が背中を支えてくれる。その男の顔にも、黒い簾が掛かっていた。簾の下から覗く頬には淡くそばかすが散っている。
 
 
「有難うございます。助かりました」
 
 
 お礼を言っても、小柄な男は返事を返さなかった。ただ構わないと言いたげに首を左右に振るばかりだ。どうしたのだろう、と首を傾げた瞬間、開いた鉄扉の外側から声が聞こえて来た。
 
 
「葛之宮様、その者――鈴虫は喋ることができません」
 
 
 馬車と併走したままの百足が言う。どうやら小柄な男は、鈴虫、という呼び名のようだった。
 
 
 
「あぁ、それは…すいません…」
 
 
 視線を伏せると、鈴虫は今度はぶんぶんと力強く首を左右に振った。鈴虫は恐る恐るといった手付きで葛之宮の掌を持ち上げると、その掌へと指先を滑らせた。その指先が言葉を紡ぐ。
 
 
『おきになさらず』
 
 
 気遣いの言葉に、葛之宮は微笑みを浮かべた。葛之宮の表情を見て、鈴虫がほっとしたように息を吐く。
 
 鈴虫に案内されるままに、急な階段を登って馬車の二階へと上がっていく。想像していたよりも馬車の内部は簡素だった。金箔で覆われていることもなく、豪奢な置物も置かれていない。必要最低限の家具が置かれており、合理的な作りになっているように見えた。それでも防振と防音はきちんと施されているのか、馬車の中は外に比べるとずっと静かだった。
 
 馬車二階の一室は、会議室になっていた。大きな丸机の周りに数脚の椅子が置かれている。そこに天道光一と金田中尉が腰掛けていた。
 
 
「申し訳ございません、お待たせいたしました」
「いいえ、丁度良いときに来て下さいました。来て早々申し訳ないのですが、中尉殿のご機嫌を宥めて頂けませんか?」
 
 
 天道がにたにたと笑いながら、手に持っていた扇子で金田中尉を指す。その先では、金田中尉が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
 
 
「ご機嫌って…どうなさったんですか?」
 
 
 隣の椅子に腰掛けながら、金田中尉の顔を横から覗き込む。途端、ご機嫌斜めな子供のように金田中尉がそっぽを向いた。
 
 
「そいつに聞け」
 
 
 金田中尉が素っ気なく吐き捨てる。困り果てて天道へと視線を向けると、天道が一際楽しそうに頬を緩めた。
 
 
「葛之宮少尉、英雄の凱旋は華やかであるべきだとは思いませんか?」
「英雄の凱旋? 華やか?」
 
 
 意味が解らず、葛之宮は唇をぽかんと開いた。天道が密やかな笑い声を漏らしながら、閉じた扇子を二度ほど掌に打ち付ける。すると、会議室の隣室から二人の女官が進み出てきた。その女官たちも顔を黒い簾で覆っている。女官たちはそれぞれ一着ずつ衣装を両腕に掲げ持っていた。
 
 
「夏茜、揚羽、ここに」
 
 
 夏茜と揚羽と呼ばれた女官は、丸机の上へとしずしずと衣装を置いた。衣装は、盛典で用いられるような黒衣の軍服だった。質の良い生地の所々に銀の装飾が施されている。
 
 よく見ると、二つの衣装はそれぞれ形が異なっていた。一着は詰め襟の見るからに厳格な軍服で、肩から臑まで覆う黒衣のマントが付いている。もう一着は、黒い開襟シャツを中に着る背広型の軍服で、軍服とは思えないほど洒落た形をしていた。ともすれば、舞踏会用の衣装のようにも見える。
 
 
「仮装大会を楽しむ趣味はねぇんだぞ」
 
 
 金田中尉がそっぽを向いたまま腹立たしそうに呟く。その言葉に、天道が軽く肩を竦めた。
 
 
「仮装大会ではなく、英雄のお披露目です」
「誰がお披露目してくれなんて頼んだ。こんなのは阿呆の見せ物だ」
「私の前で貴方がたを阿呆扱いする者がいたのなら、すぐさま首を斬り落としましょう。英雄を軽視するような者は、いずれ国をも軽視し始めます。我が東国を衰退へと導くような不穏因子は、早目に刈り取らなくては。ねぇ、夏茜、揚羽、貴方たちもそう思うでしょう」
 
 
 天道がたたずむ夏茜と揚羽へと声を掛ける。夏茜と揚羽は揃えたように膝を付き、頭を垂れた。
 
 
「我が君のおっしゃるとおりです」
「そのような者がいたら、私共が地の果てまで追い詰めて首を刎ねてまいります」
 
 
 盲目的な台詞に、葛之宮はぞっと皮膚が粟立つのを感じた。葛之宮の隣では、金田中尉が露骨に舌打ちを漏らしている。その唇から「狂信者共が」と呻くような声が零れるのが聞こえた。
 
 
「既に黄半島で戦い、臼長井基地を死守し、囚われた臣民たちを救った英雄が凱旋することは天都には伝令済みです。私たちが大門をくぐる頃には、英雄を一目見ようと民たちが列を成していることでしょう。臣民たちが初めて見る英雄が泥まみれの軍服を着ていちゃサマにならないでしょう? さぁ、早く着替えて下さい」
「見世物小屋の珍獣扱いされるぐらいなら舌を噛み切った方がマシだ」
「金田中尉、私も獣のように猿轡を噛まされている英雄の姿など見せたくはないんですよ」
 
 
 脅し掛けるように、天道が金田中尉へと微笑みかける。金田中尉は、暫く憎々しげに天道を睨みつけていたが、やがて諦めたように大きく溜息を付いた。
 
 
「女共を出て行かせろ」
「彼女たちには着替えの手伝いさせるつもりです。まだ貴方は、足の怪我が治っていないでしょう」
「手伝いなんぞいらん。これ以上俺を怒らせるなら、素っ裸で英雄のお披露目とやらに出てやるからな」
 
 
 やけくそのような金田中尉の言葉に、葛之宮は慌てて声を上げた。
 
 
「私が中尉を手伝います。ですから、彼女たちを下がらせて下さい」
 
 
 葛之宮の上擦った声に、天道が仕方なく手を振って女官たちを一階へと下がらせる。
 
 
「隣室に、盥にはなりますが湯浴みの準備が出来ています。どうぞ入って汚れを落として下さい」
 
 
 そう言い残すと、天道も部屋から出て行った。残されたのは、怒りに荒い息をつく金田中尉と、所在なく椅子に座り込む葛之宮だけだ。
 
 奥歯をギリギリと噛んでいる金田中尉を、横から恐る恐る覗き込む。
 
 
「中尉…」
「あいつは嫌いだ」
 
 
 呼びかける声に被さるようにして、金田中尉の子供のような罵りが聞こえた。目を丸くする葛之宮を見もせず、金田中尉が憎々しく繰り返す。
 
 
「大嫌いだ」
 
 
 ますます子供っぽい。咄嗟、押し殺しきれず唇から笑いが噴き出した。腹を抱えて背筋を震わせる葛之宮を見て、金田中尉が眦を尖らせる。
 
 
「笑うな馬鹿が!」
「笑うなって……だって、貴方、大嫌いなんて…ふ、ふふ…」
「笑うなと言っているんだ!」
 
 
 癇癪じみた怒鳴り声に、ますます笑いが唇から漏れ出る。身体を半分に折り曲げたまま金田中尉を見遣ると、その顔が憤怒か羞恥からか、朱色に染まっているのが見えた。
 
 
「ふ、は…顔が赤い」
 
 
 独り言のように漏らしながら、朱色に誘われるように金田中尉の頬へと手を伸ばす。頬に緩く触れると、金田中尉の皮膚がピクリと震えた。柔らかい産毛の感触を感じながら、頬へと掌を滑らせる。
 
 指先で下唇をなぞった瞬間、不意に衝動が込み上げた。ぞわぞわと下腹辺りが震える。ゆっくりと唇を寄せても、金田中尉は避けなかった。ただ、じっと観察するような眼差しで葛之宮を眺めている。その幼い、不思議そうな眼差しに堪らなくなる。
 
 乾いた唇をそっと重ねて、狭間から舌を差し込む。温かくぬめった舌を、音も立てずに静かに嬲る。柔く柔く愛おしむように、舌をねぶって、淡く絡めた。互いの唾液が絡まって、狭い咥内で糸を引くのが判る。
 
 まるで接吻に没頭するように、金田中尉が目を細めている。その目尻を親指の腹を撫でると、微かに濡れた感触がした。潤みを帯びた黒い瞳に、心臓が不整脈を起こしたように跳ねる。
 
 糸を引く舌を引き抜くと、金田中尉が、は、と短く息を吸い込んだ。目を細めたまま、葛之宮を見つめている。その唇が薄く開かれた。
 
 
「お前、俺とやりたいのか」
 
 
 情緒の欠片もない、単刀直入な問い掛けだ。言葉に詰まりつつ、葛之宮は口を開いた。
 
 
「…はい、と言ったら軽蔑しますか」
 
 
 葛之宮の曖昧な返答に、金田中尉は一瞬眉根を寄せた。不貞腐れたような表情のまま、金田中尉が短く呟く。
 
 
「別に」
 
 
 そう呟くなり、金田中尉が椅子から立ち上がった。杖を持ち、左足を引きずるようにして隣室へと向かって歩き出す。葛之宮が呆然と椅子に座っていると、金田中尉が扉の前で振り返った。
 
 
「身体を洗いたい。手伝ってくれるんだろう?」
 
 
 緩く首を傾けて、金田中尉が笑う。蠱惑的に、密壷へと誘い込む毒虫のように。甘ったるい表情に逆らうこともできず、葛之宮はふらりと椅子から立ち上がった。
 
 

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Published in 地平の戦争

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