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54 坂東将子

 
「どうかお待ち下さい、金田少佐」
 
 
 金田の前に立ちはだかったまま、百足が声を上げる。その顔は黒い簾に覆われており、表情までは見えない。金田は百足の前でピタリと足を止めると、憎々しげに百足を眺めた。金田と並んでいる姿を見て初めて気が付いたが、百足は非常に背が高かった。金田よりも拳ふたつ分は目線が高い。
 
 
「退け」
「いいえ、退くことは出来ません。どうか我が君の話を聞いてください」
 
 
 淡々としながらも何処か盲目的な信仰を感じさせる百足の言葉に、金田があからさまな冷笑を滲ませる。
 
 
「我が君か。お前らが偶像を崇めるのは勝手だが、それを俺にまで押し付けるな。俺は、神を信じていない」
「ええ、私も信じてはいません」
 
 
 吐き捨てられた金田の言葉に、思いがけず肯定が返ってきた。金田は一瞬唖然とした表情で百足を眺めた。百足が相変わらず感情を覗かせない声で言う。
 
 
「私は神を信じません。ですが、光一様は信じております。光一様が神ではなく人であるからこそ、私は彼の人を信じて、使えているのです」
 
 
 台詞自体は熱狂的なものであるにも関わらず、百足の抑揚のない喋り方のせいで、それは祝詞のようにも聞こえた。金田が露骨に鼻白んだ表情を浮かべる。
 
 
「何故、こんな奴を信じようとする」
 
 
 それは問い掛けというよりも蔑みのように聞こえた。百足は表情を変えぬまま、じっと金田を見つめた。僅かな視線の交わりの後、百足は静かに唇を開いた。
 
 
「光一様だけが私たちに存在意義を与えてくれた。ただ亡霊のように彷徨うだけだった幽鬼兵に、果たすべき使命と、進むべき道を示してくれた。私たちを、必要としてくれた」
 
 
 ただ、それだけです。と百足は呟いた。ただ、それだけ。だが、その『それだけ』のことが今まで与えられたどんな物よりも大事だったのだと、その感情の窺えぬ声が語っている。
 
 
「光一様が目指す道は険しく、果てしなく遠い。私たちは、その道を切り開いていきたい。そのためには、金田様と葛之宮様、お二人の力が必要です。どうか我が君と共に歩んで頂きたい。どうか」
 
 
 どうか、と繰り返して、百足は地面に膝を付いた。頭を垂れた百足を見下ろして、金田が頬を引き攣らせる。目尻を微かに痙攣させながら、金田が鈍い声で吐き捨てた。
 
 
「巫山戯るな。俺をお前たちの茶番劇に巻き込むな」
「どうか」
「黙れ、クソ信者共め」
「どうか」
 
 
 まるで頭の悪い鸚鵡のように繰り返される言葉に、金田のコメカミに稲光のような青筋が浮かび上がる。次の瞬間、金田の右腕が大きく振り上げられた。硬く握り締められた拳が百足の頭部へと振り下ろされる。
 
 だが、その拳がぶち当たる直前、間に飛び込んできた者がいた。金田の右拳に胸部を強打された天道が呻き、地面にうずくまり、大きくせき込む。百足が驚いたように唇を半開きにしている。
 
 
「光一様!」
 
 
 そう叫んで近付いてきたのは、以前馬車の中で見た夏茜と揚羽だ。二人共、顔にかけた黒簾が捲れ上がらんばかりに駆けてくる。それを片腕で制しながら、せき込む天道が顔を上げた。その視線は、まっすぐ金田へと向けられている。
 
 
「…金田少佐、私はただこの国を守りたいのです。我々を黒い害虫呼ばわりするような敵国にこの美しい国土が侵されるのも、臣民が陵辱されるのも我慢ならない。私は、この東国をあるべき形のまま永遠に残していきたい」
 
 
 訥々と語る天道を、金田は冷めた眼差しで見据えている。
 
 
「俺には関係のない事だ」
「東国は、貴方の国でもあるはずです」
「国が俺に何をしてくれた。貧しい村で生まれ、盗賊に襲われて家族は全員死んだ。負け戦の大将に選ばれて、部下を散々犬死にさせた。その挙げ句に、今度は英雄扱いされて、陰謀に巻き込まれるのか。巫山戯るな、俺は手前らの玩具じゃねぇんだぞ。俺も、死んだ部下も」
 
 
 僅かに空気を吸い込んで、金田が続ける。
 
 
「国を守るだと? でかい大義名分をほざきながら、お前がやったのは国のために戦った男を死んでからも苦しめただけだ。その男が愛していた女に絶望を与えただけだ。希望だと? 国を守るだと? 目に見えないものを守ろうとして、目に見えるものを傷付ける人間を誰が信用できる」
 
 
 唸るような金田の声に、天道が一瞬大きく目を見開く。その一言で、ようやく金田の怒りの本質が解ったのかもしれない。何故こんなにも金田が怒り狂っているのか。
 
 丸眼鏡の奥の瞳が真ん丸く開かれて、驚いたように金田を見つめていた。ほんの数秒の沈黙の後、天道がぽつりと呟いた。
 
 
「申し訳ない」
 
 
 天道が俯く。
 
 
「貴方の部下を道具にしてすまなかった」
 
 
 葛之宮は僅かに息を呑んだ。まさか皇族である天道が一兵士である金田に謝罪の言葉を向けるとは想像もしていなかったからだ。
 
 
「ですが、解ってもらいたい。あれは必要なことだった。たとえ作られた茶番だったとしても、臣民の心を奮い立たせるためには絶対的に必要だった。――だが、必要だったからといって、貴方の部下を蔑ろにしたのは間違いない。それについて私は謝罪します。大変申し訳なかった」
 
 
 天道が地面に両膝を付いたまま頭を垂れる。その姿を金田は温度のない目で見下ろしていた。
 
 
「死んだ人間に、言葉は届かない。もう何も」
 
 
 ぽつりと零された言葉は、何処か空虚だった。金田の石の目の奥には、何の感情も浮かんでいない。まるで何もかもを見限ったような眼差しだった。
 
 金田が歩き出そうと、片足を浮かす。だが、その瞬間、小さな掌が金田の上着の裾を掴んだ。鈴虫と呼ばれていた少年が金田の服を両手で掴んだまま、行かないで、と言うように首を左右に振っている。
 
 
「離せ」
 
 
 金田が冷めた声で命じる。だが、鈴虫は金田を離そうとはしない。金田の顔が静かに歪んでいく。それは怒りの表情というよりも、何処か泣き出しそうな表情に見えた。
 
 
「離せと言っているのが解らないのか!」
 
 
 怒声が迸る。咄嗟に、葛之宮は金田へと駆け寄り、その肩を掴んでいた。金田がハッとしたように葛之宮を見つめる。
 
 
「少佐、落ち着いて下さい」
「…お前まで、俺に折れろって言うのか」
「折れろとは言いません。ですが、何も聞かぬうちに去ってしまうのは違うとは思います。事実、天道殿は『目に見えるもの』を守ろうとしました」
 
 
 百足を庇って殴られた天道の姿を思い出すと、葛之宮は一概に天道が夢見ごとを語るだけの独裁者とは思えないのだ。そして、天道を守ろうとする幽鬼兵たちの姿からも主従関係以上の信頼を感じる。
 
 
「…お前まで、俺が悪いって言うのか」
 
 
 だが、葛之宮の言葉に対して、金田は予想外にしょぼくれた声を漏らした。叱られた子供のような意気消沈した様子だ。葛之宮は、戸惑いに一瞬咽喉を詰まらせた。
 
 
「貴方が悪いとは…」
「お前は俺の味方じゃないのか」
 
 
 不意に、迷子のような眼差しが葛之宮へと向けられた。僅かな心細さに揺れた瞳だ。その瞳に心臓がぐらつく。もしかしたら、この人は意図的にこんな目をしているんじゃないだろうかと思った。だとしたら、性質が悪い。
 
 
「僕は、貴方の味方です」
「なら、もっと俺のことを優先しろよ。俺のことを大事にしろよ」
 
 
 思わず、ぽかんと唇を開いてしまった。金田の言葉は、まるっきり子供の駄々だ。呆然としたまま金田の顔を見つめていると、不意に金田の顔にパッと朱色が散った。金田が手の甲で頬を擦りながら、拗ねたような声で呟く。
 
 
「…もういい」
 
 
 そう言って、顔を逸らす男の姿に、不意に胸が震えた。金田の肩を掴んだ掌が衝動に小さく戦慄く。だが、その手が動く前に、凛然とした声が聞こえてきた。
 
 
「いつまでそこで遊んでいるんだ?」
 
 
 振り向くと、日本家屋の玄関前に一人の女が立っているのが見えた。肩まで直線的に伸びた黒々とした艶やかな髪。目尻はキリッと尖っており、女性らしかぬ精悍さを滲ませている。年は、二十代中頃に見える。
 
 女は、黒い軍服を纏っていた。その軍服の肩に付けられた階級章を見て、葛之宮は咄嗟に目を剥いた。
 
 
「少将?」
 
 
 葛之宮の呆気にとられた声を聞いて、女が目を細めて笑う。一瞬見とれるほど美しい形をした唇だ。女は葛之宮へと近付いてくると、細い右手を差し出した。
 
 
「初めまして、葛之宮大尉。私は坂東将子」
 
 
 差し出された手を握り返すことすら忘れて、葛之宮は坂東将子の顔をまじまじと凝視した。坂東という姓は、この国の者であれば誰でも知っている。
 
 
「では、貴女は坂東大公の?」
「坂東正二郎の長女にあたる」
 
 
 咽喉が上下するのを隠せなかった。坂東大公一族は、東国に最も古くから存在する貴族だ。天子様の右腕とも呼ばれ、はるか昔から東国の政治を支えてきたと言われる、盤石たる貴族。そして、西国との徹底抗戦を訴え続ける貴族の最大勢力でもある。
 
 
「何故、貴女のような方がこんな場所にいらっしゃるんですか?」
「その話をする前に、一ついいかな?」
 
 
 将子が唇に人差し指をあてる。一度も泥にまみれたことのない、白魚のような指だ。葛之宮が無言で目を伏せると、将子は視線をすっと金田へと移した。
 
 
「金田少佐、君の望みは何だ?」
「は、いきなり出てきて、何を言っている」
「私達の目的には、君の存在が必要不可欠だ。何があろうと、君を失うわけにはいかない。故に、交換条件を出したい」
「交換条件だと?」
「私達への協力の代わりに、君の望みを叶えたい」
 
 
 歯切れの良い将子の言葉に、金田がハッと鼻先で嗤う。
 
 
「随分と、即物的な事を言う」
「君は『平和』だとか『御国の為』等という綺麗事は嫌いだろう? ならば、此方も即物的な交渉をするしかない」
 
 
 酷く合理的な台詞だった。その言葉だけで、将子がただのお嬢様ではない事が想像できる。金田は下唇を噛み締めて、血走った目で将子を睨み付けた。
 
 
「不愉快だ」
「不愉快なのは解っている。だが、君も解っている筈だ。こうやって駄々をこねたところで、この渦からはもう逃れられない。逃れるには、君は既に知りすぎている」
「口塞ぎに俺を暗殺でもするつもりか」
「暗殺などしなくても、君を最前線に出す命令さえすればいい。生き残った君の部下達も一緒に」
 
 
 最後の言葉を聞いた瞬間、葛之宮の背筋にぞっと仄暗い憎悪が走った。それは生き残った二十二名の部下達を殺すと言っているのと同じだ。
 
 思わず金田と一緒になって将子を睨み付けると、将子は緩く肩を竦めた。
 
 
「勿論、私もそんなことはしたくない。だが、今は非道な手すら使わざるを得ない時期に来ている。私は、脅してでも君達を手に入れたい」
「貴女は、僕たちに何をさせるつもりなんですか」
 
 
 口説き文句のような熱烈な将子の台詞に、微かな目眩を覚える。呻くように訊ねると、将子は一天道へとちらりと視線を向けた。天道が無言で頷く。それを見て、将子はゆっくりと唇を開いた。
 
 
「私と天道は、君達二人を英雄として臣民栄誉賞に推薦するつもりだ。それが認められれば、天子様自らが君達へと勲章を授けられる。授与式の後は、天子様と直接会談することが許される。その立会人は、坂東大公だ」
 
 
 そこまで聞いて、葛之宮は血が凍るような感覚を覚えた。将子が葛之宮と金田に望んでいることが薄っすら解ってきた。だが、解るのを拒絶したいという気持ちもある。
 
 すぅと息を吸い込む音が聞こえた。天道が静かに唇を開く。
 
 
「天子様は変わってしまわれた。長男である皇子様を殺されてから抜け殻のようになられて、今では坂東大公の操り人形だ。坂東大公は、西国との徹底抗戦をうたっている。ですが、東国には既に西国と戦い続けるだけの武力も体力もないのです。このまま戦争が長引けば、東国は確実に敗戦国になる。ですから--」
「だから、俺たちに『神殺し』をさせるのか」
 
 
 噛み付くような金田の声に、全身の産毛が総毛立つのを感じた。震えが足下から喉元まで這い上がって、唇から溢れる。
 
 
「貴方たちは、僕らに天子様と坂東大公を暗殺しろと言っているんですか」
 
 
 瞬間、時が止まったように感じた。誰もが身動ぎもせずに、息を殺している。最初に大きく息を吐き出したのは金田だ。
 
 
「英雄の次は国賊になれと言うのか」
「いいえ、天子様の暗殺は坂東大公による犯行と見せかけます。貴方たち二人は天子様を殺害した坂東大公を粛清したのだと公表します」
 
 
 金田が失笑を漏らす。皮肉じみた嗤いを浮かべたまま、金田が首を左右に振る。
 
 
「馬鹿馬鹿しい。幼児の方がもっとマシな台本を書くだろうよ」
 
 
 小さな溜息が聞こえた。金田が緩く肩を落として、片手で目元を覆っていた。そのまま黙り込んだ金田から視線を逸らして、葛之宮は将子へと困惑の眼差しを向けた。
 
 
「坂東大公は、貴方のお父様です」
「そうだな。だが、父はこの国の病でもある」
「病?」
「この国を滅ぼす腫瘍になりつつある。私は、父が東国を滅亡させた今世紀最大の阿呆華族と呼ばれるのが我慢ならない」
「だから、殺すのですか。自分の父親が汚名を被るよりも、殺す方がマシだと言いたいのですか」
「そうだ」
 
 
 微塵の揺らぎも感じさせない声音だ。将子の目は、真っ直ぐ葛之宮を見つめている。とっくに心を決めているのだ。
 
 将子が場の空気を切り替えるように両手を二度ほど打ち鳴らした。
 
 
「いい加減庭先で機密事項を話すのは止めにしないか? 中に昼食を用意しているんだ。食事でも取りながら、ゆっくりと話そう」
 
 
 小気味いいサッパリとした声音だ。だが、金田は威嚇するような眼差しで将子を睨み付けたままだ。
 
 
「中に入る前に確認させろ。俺の望みを叶えるというのは本当か」
「私達に叶えられることなら何でも」
 
 
 将子が迎合するように両腕を広げる。その仕草をじっと凝視した後、金田が憎々しげに下唇を噛みながら歩き出す。家屋へと向かって進むのを見て、葛之宮もその後ろに静かに続いた。
 
 金田の望みとは何なのだろうか、と思いを巡らせながら。
 
 

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Published in 地平の戦争

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