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01 たたく(下)

 
 それからの事は、よく覚えてない。何かに突き動かされるみたいに、走って走って、昨日一緒にた男達を片っ端から潰していった。姉貴をレイプしていようがしていなかろうが関係ない。虱潰しという言葉が一番似合う遣り方だった。
 
 実家にいた奴は、家族の前で鼻を叩き折って、顎を割った。彼女の家でセックスしてた奴は、彼女の前で金玉を潰して、鎖骨と太股の骨を折った。公園でシンナーを吸ってた奴は、頭をサッカーボールみたいに蹴り飛ばして、公園の噴水に頭を沈めた。クラブで踊ってた奴は、アイスピックで手と足の甲をブッ刺して、そのままタコさんウィンナーみたいに引き裂いた。生きてるか死んだかなんて確認してない。死んでたら死んでたで良いと思う。
 
 もちろん反撃だって受けた。俺が殴り飛ばした奴の家族は、泣きながら俺の頭をビール瓶で殴った。恋人は、大声で喚きながら俺の左肩を果物ナイフで刺した。公園の奴は、俺の左手首の骨を折った。クラブの奴は、俺の右腕を折った。クラブで踊ってた薬中共も調子に乗って、俺を小突き回し、ボロボロになるまで蹴り飛ばした。
 
 そうして、今俺はここにいる。ゴミ捨て場に倒れて、ゴミよりも無価値で汚い存在になってる。黄色を帯びた吐瀉物をダンボールでおざなりに覆いながら、口の端についた胃液を舌先で舐める。酸っぱい味が口内に広がって、やっぱりゴミ以下だと腹の中で呟いた。
 
 姉貴や母親はどうしてるんだろう。もう俺のことなんか綺麗サッパリ忘れてるだろうか。邪魔な奴がいなくなって清々してるだろうか。そう思うと、涙がじわりと滲んで来て、ぽろりと頬を伝った。
 
 
「さびしいのかぁ?」
 
 
 流した涙を馬鹿にしたくって呟いてみたのに、呟いたら余計に涙が出てきた。とうとう独りぼっちになってしまった。今まで何をしても母親や姉貴が居てくれた。それなのにもう居ない。見捨てられた。それを恨むだけの権利も自分にはない。だって自業自得だ。母親は何十人もの人間に頭を下げさせられた。姉貴はシンナー狂いの馬鹿共に処女を奪われた。俺に来るはずの罰が、母親や姉貴に降りかかった。
 
 
―――違う、ずっと気付かないフリをして、俺はずっと俺の罪を自分の家族に押し付けていたんだ。
 
 
 ひっ、ひっ、と何度も咽喉が引き攣った音を出す。誰か、と呟く。
 
 
「だれかたすけて」
 
 
 俺じゃなくて母親や姉貴を助けて。俺はこの場で死んでもいいから、誰か可哀想な俺の家族を助けて。神様じゃなくて悪魔でもいい。誰でもいいから、お願いだから、
 
 
「何や、犬がおるわ」
 
 
 唐突に頭上から柔らかな関西弁が落ちてきた。見上げると、垂れ目の男がこちらを見下ろしてた。上等そうな濃灰色のスーツを着て、にんまりと笑ってる。その背後には、強面な男が三人立っていた。
 
 目を瞬かせて、暫く言われた言葉の意味を考える。
 
 
「いぬは、となりのペットショップ、にいる」
「違う。此処におるやないか」
 
 
 咽喉の奥で笑いながら、男が俺の頭をくしゃりと撫でてくる。ビール瓶で殴られたせいで髪の毛にも血がこびり付いていたが、もう乾いているみたいだ。乾いた血が髪の毛と擦れて、パサパサと音を立てた。そこで、ようやく男の言う「犬」は俺のことだと気付いた。気付いて、憤慨した。
 
 
「いぬじゃ、ねぇ」
「御前ジャンキーなん?」
 
 
 俺の言葉を無視して、男が聞いてくる。
 
 
「てめ、え、に、カンケイ、ねぇ」
 
 
 喋ると、口が痛い。不躾な男を殴り飛ばしたくても、身体中が痛くて動かせない。じりじりと込み上げてくる苛立ちに、ひたすら顔を歪めることしか出来ないのが悔しい。睨み付けた瞬間、バシンと頭を叩かれた。男の手には余り力が篭ってなさそうだったのに、思った以上の衝撃が脳味噌に走って、身体がぐらんぐらん揺れた。
 
 
「ええから、はよ答えろやボケ。薬やっとんかやっとらんのんか。質問は簡単やろ? それとも、それすら解らんぐらい脳味噌溶けとんか?」
 
 
 言いながら、男がバシンバシンと頭を何度も叩いてくる。眼球が瞼の中で回りそうになる。意識を飛ばす直前みたいに、身体が地面にめり込んでいく感覚。
 
 だけど、意識が消える直前に、男が「人が喋っとる時に寝んなや」と言いながら、俺の頬を拳で殴り飛ばした。容赦のない衝撃と痛苦に、一瞬意識が覚醒する。口から呻き声を零そうとしたら、驚いたことに口から指先大の白いものが二つ、コロコロと転がり出た。腹の辺りに落ちたそれを唖然と見ていると、男が拾い上げて「歯が折れてもうたんか」とつまらなそうに呟いた。
 
 
「カルシウム足らんのんとちゃう? ちゃんと毎日牛乳飲んどんか?」
 
 
 暢気なことを言いながら、男が俺の傷だらけの唇に指先を突っ込んで、ぐりぐりと無遠慮に口内を探る。傷付いた粘膜を弄くられると、ピリピリとした痛みを感じる。
 
 
「あぁ~、上の歯が折れたんやな。じゃあ、地面に向かって投げんと」
 
 
 呆然とする俺の掌に折れた歯を握り締めさせながら、男は酷く無邪気な顔で笑った。
 
 
「うで、折れてるからなげれない」
「じゃあ、もう片方の手で投げぇや」
「かたほうの手も、うごかせない」
「じゃあ、口でもええけぇやれ」
 
 
 無茶苦茶だ。途端命令口調になった男に、無理やり折れた二本の歯を口に突っ込まれる。シンナーのせいでスカスカになった歯を舌先で力なく弄ってると、涙がまた込み上げてきた。俺は俺の身体にさえ優しくしてやれなかったんだなぁ。
 
 
「ほら、下に向かって吐け」
 
 
 男の言うままに、少し顔を傾けて口内の歯を吐き出す。地面に落ちた歯は、サイコロみたいにコロコロと転がって、散らばるゴミと一体化して直ぐに存在をなくした。自分の歯がゴミクズになる様子をぼんやりと見つめて、それから男を見上げる。男は満足そうに笑みを浮かべていた。吃驚するぐらい優しい笑顔だった。
 
 
「ええ子やなぁ」
 
 
 一瞬、頭の中が真っ白になった。それから、濁流のように泣きたい気持ちが込み上げてきて、咽喉を詰まらせた。
 
 
「おれ、いいこ?」
 
 
 痛みを押し殺して、震える指先で男の袖を握り締める。縋り付くように掴んだまま、涙声で問い掛けた。どうか「いい子」だと言って。お願いだから、もう一度繰り返して。何でもするから、どうか、どうか、―――おれをみすてないで、
 
 男の掌が優しく俺の頭を撫でた。
 
 
「あぁ、ええ子や」
 
 
 繰り返して、それから男はこう続けた。
 
 
「拾ってやろうか?」
 
 
 その言葉に、たぶん俺は救われた。大袈裟だって言われるかもしれないけど、実際俺は救われて、今真樹夫さんの傍で生きてる。
 
 あれから家には帰ってない。母親にも姉貴にも、もう五年以上会ってない。真樹夫さんから貰ったお金を毎月送ってる。それを言ったら、真樹夫さんは馬鹿だって言って笑った。自分を見捨てた家族に何で尽くすんや、と言って笑う。
 
 
「幸せになって欲しいんっす。俺は真樹夫さんに会えて、すげぇ幸せになれたっす。だけど、母親と姉貴が幸せになれたかどうかはわかんねぇっすから」
 
 
 もごもごと口内に篭らすように言う。自分だけ幸せになるなんて不公平だと思った。俺だけ助けて貰って、家族は助けて貰えてなかったら、そんなのは嬉しくない。
 
 
「金で幸せは買えんで」
「…他にどうしたらいいのか、わかんねぇんっす」
「手紙でも書いたれ」
「何て書いたらいいっすか?」
「そんぐらい自分で考えや」
 
 
 真樹夫さんは笑いながら、俺の頭を小突いた。真樹夫さんの掌の感触に、嬉しさが込み上げて来る。どうしたらいいか解らないぐらい、自分は真樹夫さんがすきだ。家族と同じくらい。そう思ったら、自然と手紙に書くことが思い浮かんだ。
 
 
「真樹夫さん、手紙決めたっす」
「何や」
「ありがとうございます」
「随分シンプルやな」
「だいすきです」
 
 
 愛の告白かいな、と言いながら、真樹夫さんが頬を緩める。そう書いた手紙が自分の元にも届いたら、真樹夫さんはどういう顔をするだろうか。馬鹿にするだろうか。笑ってくれるだろうか。きっと、じゃれるみたいに俺の頭を叩いてくるんじゃないかと思う。その光景を思い浮かべると、胸が幸福に満ちて、小さく震えた。
 
 

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Published in touch'ボコ題

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