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08 泣きわめく(3)

 
 真樹夫の顔色は、真っ白だった。悲しみも怒りも、何の表情もなかった。ただ、無だけが真樹夫の顔にピッタリと貼り付いていた。真樹夫は瞬きをしていない。瞬くことのない瞳がじっと妹の成れの果てを見つめていた。
 
 真樹夫は何も言わなかった。怒鳴りもしなければ、泣き喚くこともない。その呼吸音すら聞こえてこなかった。胸に耳を押し当てても、その鼓動すら聞こえてこないのではと思うほどだった。
 
 だが、その手だけが雄弁に真樹夫の感情を物語っていた。握り締められた拳の隙間から、ぽたぽたと赤い滴が滴っていた。固く握り締められた拳に爪が食い込んで、皮膚や肉を切り裂いていた。
 
 とっさに身体が動いていた。血を零す掌を掴む。まるで錆び付いたロボットのようなぎこちない動きで、真樹夫の顔が小山へと向けられた。
 
 不意に、耳鳴りが鳴った。頬骨に衝撃が走って、頭蓋骨の内側で脳味噌がぐらんと揺れた。衝撃に耐えきれずに左膝を床につく。真樹夫に殴られたと気付いたのは、頬が尋常じゃない熱をもって痛み始めた後だ。
 
 真樹夫が無表情のまま小山を見下ろしている。
 
 
「触るな」
 
 
 真っ黒に澱んだ眼球に、左頬を腫らした自分の顔が映っていた。まるで暗い森の奥に潜む底なし沼を覗き込んだかのようだった。この目を見たことがある。真樹夫さんが人を殺す時の目と一緒だ。何の感情もなく、有無を言わせず死へと引き擦り込む眼差し。
 
 
「真樹夫さん、血が…」
 
 
 そこからは言えなかった。反対側の頬に激痛が走る。まるで風船が弾けるような甲高い音が闇に響く。勢いを殺しきれず、背骨が柱にぶち当たって、グ、と息が詰まった。
 
 
「俺に触るな。殺すぞ」
 
 
 ぞわりと首筋の後ろが逆立った。真樹夫の口調から、関西弁が消えている。真樹夫は本気だ。
 
 それでも、真樹夫の手を離さなかった。離せなかった。真樹夫の握り締められた拳からは血の滴が溢れ続けている。それがたまらなかった。この人に、自分で自分を傷付けて欲しくなかった。
 
 かしずくように両手で掌を持ったまま、固く握られた指先を一本一本解いていく。自分の手も膝も、情けないぐらい震えていた。キレた時の真樹夫の容赦のなさを一番よく知っているのは自分だ。数秒後には殺されるかもしれないと思うと、心臓が飛び出しそうなぐらい怖かった。
 
 ほどけた掌には、四つの赤い傷口が開いていた。血を滲ませる傷口を見ていると、その痛々しさに涙が滲んだ。
 
 
「どうして、こんな…」
 
 
 悲しみが咽喉をついて溢れる。真樹夫は、もう小山の存在すら忘れてしまったかのように、吊された真昼をぼんやりと見遣っている。組員達が四苦八苦しながら真昼の首に食い込んだロープを外そうとしていた。
 
 再び絶叫が聞こえた。子供の泣き声。数分後、血にまみれた子供を無造作に引き擦りながら、新しい組長となった男が現れた。妹の無惨な末路に目を止めることもなく、真っ直ぐ歩いていく。
 
 真樹夫の唇が微かに痙攣するのが見えた。その痙攣は次第に大きくなって、最後には真樹夫の全身がぶるぶると震えていた。やり場のない悲しみや憤りが真樹夫の体内で炸裂しているかのような振動だった。
 
 唐突に、真樹夫が吼える。それは、まるで泣き出しそうな声にも聞こえた。
 
 
「ここまでやるのか!! 御前は、ここまでやって、何がしたい!!」
 
 
 誰も、何も答えなかった。ただ、地面の上を引き擦られる子供が虚ろな目で真樹夫を見ていた。もしかしたら、真樹夫ではなく、その後ろで吊された少女の姿を見ていたのかもしれない。その目に映っていたのは、ただの絶望だ。深く、暗い、救いようのない絶望だけ。
 
 真昼の身体が床へと下ろされると、真樹夫は小山の手を振り払って、妹の亡骸へと近付いた。
 
 床に膝をついて、真昼の顔をそっと覗き込む。半開きになった瞳へと掌をのばすと、ゆっくりと目瞼を閉じた。真昼の顎から下は、涎や鼻水でべちゃべちゃに濡れていた。それを丁寧な手付きで拭いながら、真樹夫がぽつりと吐き出す。
 
 
「こんなになって…美人が台無しじゃねぇか…」
 
 
 その声は掠れていた。その一言に、妹を亡くした悲しみが凝縮されていた。小山は言葉を失った。掛ける言葉なんて何もなかった。家族を亡くした人に対して出来ることなんて、あるはずもなかった。
 
 真昼の頬に残る涙の跡にゆるゆると指先を這わせて、真樹夫が緩く息を吐き出す。そうして、次の瞬間、真樹夫の背中がぐんと膨らんだ。まるで背骨に寄生したエイリアンが身体を食い破って出てくるかのようだった。小山は、その瞬間、真樹夫が憎悪と殺意の塊へと変わったのが解った。解って、一気に血の気が引いた。
 
 足取り荒く立ち上がると、真樹夫は駆け出した。反射的にその背を追いかける。目瞼の裏で赤信号がチカチカと点滅している。真樹夫がこれからどう動くのか小山には想像できた。だからこそ、まずいと思った。このままじゃ、最悪にまずいことになる。
 
 自室へと飛び込んだ真樹夫に続く。暗闇の中で、真樹夫は抜き身のドスを片手に握り締めていた。その姿を見た瞬間、入口を背にしたまま小山は凍り付いた。嘔吐する直前のように、胃の辺りがきゅうと収縮する。腹の底に、冷たい恐怖が潜り込んできたのが判った。
 
 
「まっ、真樹夫さん…」
「どけ」
 
 
 ドスを片手に、真樹夫が大股で小山へと近付いてくる。その光景が息が止まりそうなぐらい怖かった。真樹夫が怖くて怖くてたまらない。全身から冷汗が滲み出して、アンダーウェアがじっとりと湿り気を帯びる。それでも、小山は動かなかった。入口にキツく背を押し付けて、ぎこちなく首を左右に振る。
 
 
「い、行っちゃ、だっ、駄目っす。真澄さんを殺したら、真樹夫さんが…」
「どけと言ってるのが聞こえないか?」
 
 
 真樹夫の声は落ち着いていた。いっそ穏やかと言っても良いほどだ。だからこそ、余計に恐ろしかった。
 
 
「だ、だめ、です…。くっ、組長を殺したら、ま、真樹夫さんまで、こ、殺される…」
 
 
 溝尾の言っていたことが本当なら、真澄は組長になったばかりのはずだ。ヤクザは時に馬鹿馬鹿しいほど縦社会を重視する古臭い共同体だ。上の者の命令は絶対で、死ねと言われれば喜んで命を差し出さなければならない。そのヒエラルキーの頂点に位置する人間を殺せば、真樹夫だって無事で済むはずがない。下手をすれば、組内で秘密裏に処刑される可能性だってある。組長の座をねらう人間は、この組に幾らでもいる。腹黒い幹部の爺共がこの際真澄に併せて真樹夫までも一緒に亡きものにする可能性がないわけではない。その危険を見逃すことは絶対に出来なかった。
 
 唇がまるで凍傷にかかったかのように冷たかった。言葉を一言発するごとに自分の命が削り取られていくような恐怖に襲われる。
 
 真樹夫がゆっくりと吐息を漏らす。そうして、ヒュッと音が鳴ったと思ったら、刃の切っ先が胸元を滑っていた。シャツの前が斜めに裂かれて、薄く切れた皮膚からじわりと血が滲み出す。小山は自分が切られたことにも気付かず、ただ唖然とその切っ先を見つめていた。
 
 
「妹が殺されて、報復をしない兄がどこにいる。妹がボロ雑巾みたいに扱われたのを許せって言うのか」
「ど、どうしても殺すなら…おっ、俺が殺しにいきますから…」
「ふざけんなクソ犬。手前如きに代役務まるとでも思ってんのか」
「でもっ、でも、真樹夫さん……」
 
 
 口篭もる小山を、真樹夫はどこか哀れむような眼差しで見つめた。それから淡々とした口調で続けた。
 
 
「俺が間違ってた。初めからあんな野良犬の息子は殺しておくべきだったんだ。この家に置くべきじゃなかった。最初からあんな奴、ろくなことを起こさないって解ってたのに。それなのに、俺はあいつを哀れんじまったんだ」
 
 
 真樹夫がやるせなさそうに溜息を吐き出す。口角は自嘲の笑みに歪んでいる。
 
 
「弟と思えないなりに、親父に殴られてるなりに、せめてこの家に置いていてやろうと哀れみを持ったのが間違いだった。あのクソババアが赤ん坊を連れて帰った時に、池に沈めてやりゃあよかったんだ。そうすりゃ真昼は殺されずに済んだ。俺の家族が死ぬことはなかった。そう、そう、あいつが殺したんだ。あいつ以外に考えられない。真昼は自殺なんかしない。するはずがない」
 
 
 口調は緩やかなのに、その声にはどこか強迫観念じみた執拗さがあった。
 
 
「なぁ、小山。お前は、あいつを殺したら俺も死ぬって思ってるのかもしれないがな、自分が死ぬのを怖くて他人を殺せるか? 他人を殺すっていうのは、自分も死んでもいいってことだろう? 違うか?」
 
 
 淡々と言いながら、真樹夫は困ったように首を傾げた。その間も、刃の切っ先は肉に食い込むか食い込まないかのギリギリの圧力を保ちながら小山の肌を柔らかく撫でている。このまま一息に突き刺されたらと思うと、胃が細かく痙攣し始めた。胃液が逆流してきそうだ。
 
 
「どけ小山。まだ死にたくないだろ」
 
 
 真樹夫の声は優しい。まるで子供を諭す母親のような声音だ。
 
 不意に、涙腺が壊れた。涙がぽつりと溢れて、それから止めどもなく溢れてくる。悲しかった。死にたくないと思った自分が悔しくて情けなくて、悲しかった。
 
 でも、それ以上に真樹夫が死ぬかもしれないという想像だけで、自分が死ぬこと以上に苦しくなった。真樹夫が死ぬぐらいなら自分が死んだ方が百倍マシだった。この人を救えない命に、何の価値もなかった。
 
 
「死んでもいいです」
 
 
 涙声が無様だった。だけど、本気だった。
 
 
「俺を殺して、それでどうか今は勘弁して下さい。報復のチャンスはまたいつでもやって来ます。今殺したら、真樹夫さんまで死んじまいます。だから、今だけ、今だけは、俺を代わりに切って、それでどうか辛抱して下さい」
「馬鹿か。お前殺したところで何の気分も晴れるか」
「解ってます。解ってますけど、どうかお願いします。俺を切って、今は収めて下さい」
「舐めるなクズが」
 
 
 真樹夫の声が不意に低くなる。不意に、鉄杭を刺されたかのような激痛が脇腹に走った。鳩尾を爪先で蹴り飛ばされて、身体が横っ飛びに倒れる。
 
 
「ガッ…げ…!」
 
 
 息が詰まって、咽喉から嘔吐じみた音が出てくる。痛い苦しい、息が出来ない。内臓をズタズタに裂かれたかのような痛みに、涙と涎が溢れてくる。
 
 
「手前如きの命が真昼に吊り合うとでも思ってんのか。ゴミ捨て場に捨てられてたシンナー中毒が思い上がってんじゃねぇ」
 
 
 寒々とした声に、全身が凍り付く。床に倒れたまま、真樹夫を見上げる。暗闇の中、月光に照らされて、細身の刀身が嘗めるように光る。それに、殺意にぎらつく真樹夫の凍り付いた眼球。その仄暗い輝きに目を奪われる。こんなに残酷なのに、こんなにも鮮烈で、美しい。
 
 真樹夫が扉へと向かって足を進める。とっさにその片足の臑にしがみ付いた。その瞬間、真樹夫が破裂した。
 
 
「うっざってぇんだよ!」
 
 
 真樹夫の踵が下腹に叩きつけられる。内臓がぐにゃりと変形して、咥内に酸っぱい胃液の味が広がった。それでも離さないでいると、今度は顔面に拳を叩きつけられた。鼻っ柱がぐにゃりと曲がって、鼻腔から錆び付いた臭いが広がる。鼻血が出たらしい。小山は両腕で真樹夫の足を抱きしめたまま、頑是のいかない子供のように首を左右に振り続けた。
 
 
「だめです、だめ、殺しちゃダメです…! どうか辛抱して下さい…!」
「黙れクズ! 手前に何が解る!」
「なんにも、何も、わかんないです…ただ、俺は真樹夫さんに死んでほしくないだけです…! 真昼さんだって、そう、そう思ってると…」
「死んだ奴は何も思わん!」
 
 
 叫んだ瞬間、ひゅっと真樹夫が息を呑んだ。唇をわなわなと震わせて、真樹夫が「あぁ…」と短く呻くような声を漏らす。真樹夫の身体から何かが抜け落ちていく。
 
 
「何も思わん。何も考えん。何も望まない。死んだ奴は何も……真昼は、死んだのか」
 
 
 今更実感したかのように真樹夫は呟いて、天井を見上げた。そこには暗闇しかない。
 
 
「もう戻って来ない」
 
 
 真樹夫の肩がガックリと落ちる。力の抜けた指先から、ドスが床へと滑り落ちた。そのまま、真樹夫はおぼつかない足取りで数歩後ずさると、どさりと床へと尻餅を付いた。両足を投げ出したまま、疲れたかのように片手で顔を覆った。
 
 
「ま、きおさ……」
「出て行け」
 
 
 短く言い放たれる。だけど、小山は出ていかなかった。顎を伝う鼻血を手の甲でぞんざいに拭って、ゆっくりと真樹夫へと近付く。
 
 真樹夫は顔を覆ったまま、小刻みに肩を震わせていた。剥き出しの足の甲に、そっと掌を這わせる。真樹夫の爪先は氷のように冷え切っていた。真樹夫がピクリと身体を戦慄かせる。
 
 
「出て行け」
「傍にいます」
 
 
 頑なな言葉を拒絶する。真樹夫が駄々をこねる子供のように首を左右に打ち振る。
 
 
「出て行け、って」
「真樹夫さんの傍にいます」
 
 
 真樹夫はもう何も言わなかった。もう二三度弱々しく首を振ったが、それすらも疲れたように動かなくなった。
 
 小山は物言わぬ真樹夫の足をゆるゆると撫で続けた。冷え切った足元を掌でゆっくりと温める。この温度で、真樹夫の心が僅かなりとも温まればいいと思った。温かいと一瞬だけでも感じてくれればいい。今小山に出来ることはそれぐらいしかなかった。
 
 真樹夫の爪先にじわりと体温が戻り始めた頃、指先に触れる感覚があった。小山の小指を、真樹夫がまるで赤ん坊のように握り締めていた。握り締める手は微かに震えている。
 
 
「…真昼は…自殺なんかしない」
「はい」
「真昼は、強かった。…俺らの誰よりも、ずっと…」
「はい、強い人でした」
「何で真昼が死なんといけんかった……」
 
 
 顔を片手で覆ったまま、嘆くように、打ちひしがれたように、真樹夫はたどたどしく喋った。真樹夫の背中も小刻みに震えている。その背へとそっと掌を這わせた。上から下へとそっと撫でさする。
 
 
「俺は、真昼が好きだった。あいつは大事な妹だった」
「はい、真昼さんは素敵な妹さんでした」
「それなのに、俺らは真昼に何をしてやった。あいつをこの家に縛り付けて、苦しめて殺しただけじゃないか」
「そんなことないです。真樹夫さんは、良いお兄さんでした」
 
 
――小山。
 
 小山には聞こえた。真樹夫が咽喉の奥で、小山の名前を呼んだ。耳を近づけた瞬間、不意に息が止まりそうな強さで身体を抱き締められた。真樹夫は小山の背中を掻き抱いたまま、首筋に鼻頭を押し当てたまま震えている。その震えを止めてあげたかった。背中をそっと抱き返すと、真樹夫が呻くように呟いた。
 
 
「俺は家族を殺した」
「真樹夫さんが殺したんじゃない」
「俺のせいだ」
「あなたのせいじゃない」
 
 
 それが真実でなくても構わなかった。例え真樹夫がその手で真昼を殺していたとしても、小山はきっと同じ言葉を言っただろう。ただ、この傷ついている人に、貴方のせいじゃないと言う人間が一人でもいなくてはいけないと思った。
 
 真樹夫が首を左右に振る。違う、違う、俺のせいだ、と子供のような口調で繰り返す。その一言一言に、小山は丹念に、あなたのせいじゃない、と繰り返した。貴方のせいじゃない。
 
 真樹夫が顔を上げる。その目は潤んでいた。だが、涙を流してはいない。堪えているのだ。この人は、悲しみを必死で堪えようとしている。それが痛々しかった。
 
 殴られて赤く腫れた小山の頬へと、真樹夫が指先を伸ばす。指先が触れると、チリッと焼け付くような痛みが微かに走った。痛みに目を細めると、真樹夫が掠れた声で問いかけてきた。
 
 
「…痛いか?」
 
 
 労るかのように掌が頬の上を滑る。その手付きが泣きたいぐらい優しい。
 
 
「真樹夫さんが痛いほうが、俺は痛い、です」
 
 
 頬に置かれた真樹夫の掌へと、掌を重ねる。真樹夫が一瞬口元に弱々しく笑みを滲ませた。泣き出しそうな笑顔。だけど、その笑顔がじわじわと悲しみに浸食されていく。崩れ、剥がれ、真樹夫の素の顔が現れていく。
 
 涙が、零れた。真樹夫の瞳から涙が溢れ出していた。ひくりと口角を引きつらせて、真樹夫は嗚咽に咽喉を震わせた。気付いたら、真樹夫は、小山の胸元へと顔を押し当てて泣き声をあげていた。まるで赤ん坊のように泣きじゃくっている。
 
 息が出来ないぐらい苦しくなった。真樹夫の頭を掻き抱いて、小山もぽろぽろと涙を零した。
 
 自分は馬鹿だ。どうして、こんなに愛しい人を一瞬でも殺そうだなんて思えたんだろう。こんなに、こんなにも好きで堪らないのに。一生報われなくたって構わない。犬畜生のように打ち捨てられても構わない。愛されなくたって構わない。この人さえ幸せなら、それでいい。俺の身体も心も人生も、すべて真樹夫さんのものだ。
 
 そう自覚した瞬間、小山は満たされた。自分の命の意味をその瞬間知った。すべては、今この胸で泣くこの人のためにあったのだ。
 
 
「あなたがすきです」
 
 
 感情が勝手に唇から溢れ出す。あなたが好きです。あなたが好き。世界で一番、誰よりも、あなたが好きで好きでたまらない。
 真樹夫が小山を見つめる。涙に濡れた瞳を見ていると、目眩でも起こしたかのように意識が朦朧としてくるのを感じた。
 
 
「もう一回、言え」
「あなたがすきです」
「もう一回」
「すきで――」
 
 
 そこからは言葉にならなかった。真樹夫の唇が半開きになった小山の唇に重なっていた。身体をピッタリと合わせて、唇を様々な角度から貪られる。
 
 どうしてだか縋り付くようなキスだと思った。体内にあいた穴を埋めるような切実なキスが切なくて、愛しかった。畳の上に押し倒されながら、小山は愛しいその人の背を必死で抱き締めた。
 
 

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