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08 泣きわめく(5)

 
 内股が自分の意志とは関係なく、ピクピクと細かい痙攣を繰り返す。絶頂に達したばかりの身体は、まるでスライムのようにどろどろに蕩けていた。下半身にねっとりとした空気が纏わり付いている。つい先ほどまで真樹夫に銜えられていた性器は、未だ粘膜に包まれているかのように温かく粘着いていた。
 
 息が上手く出来ずに、はくはくと唇だけが酸素を求めるように開閉を繰り返す。眩んだ視線の先に、小山を見下ろす真樹夫の眼差しがあった。薄汚れた家畜でも眺めるかのような仄暗く冷徹な瞳に、ぞくりと背筋が震える。蔑みを孕んだ王様の視線に、どうしようもなく興奮する。その視線に、小山の心や身体はただの犬へと変わっていく。ただ、ご主人様の機嫌を窺い、その命令に従うだけの動物へと。
 
 
 真樹夫が小山へと向かって、ゆっくりと掌を差し出す。その掌には、小山が先ほど吐き出した白濁がベッタリとこびり付いていた。真樹夫の唾液が混じっているのか随分と量が多く見える。それが先ほどの自分の乱れた姿を見せ付けられるようで、堪らない羞恥を覚えた。思わず視線を逸らした瞬間、真樹夫が言い放つ。
 
 
「汚れた」
 
 
 独り言にも聞こえる端的な一言。だが、小山はその一言に含まれた意味を感じ取った。言外に、真樹夫は小山に命令している。問うている。『どうするべきか解ってるんだろうな』と。その言葉の意味を把握した瞬間、小山は身体を硬直させた。縋るように真樹夫を見上げて、唇を微かに震わせる。
 
 
「ま、真樹夫さ…」
 
 
 助けを求めるように名前を呼ぶのに、冷酷な主人は小山の声に応えようとはしない。ただ、濡れた掌を差し出すだけだ。小山は怯えた眼差しで、その掌を眺めた。掌から指先へとゆるゆると伝っていく白濁を眺めたまま、困惑と狼狽に眼差しを揺らす。空中へとねっとりと広がっていく青臭い臭い、自分の精液の臭気。
 
 長い沈黙が流れる。不意に、真樹夫がふっと息を吐いた。
 
 
「できないか」
 
 
 決して責める口調ではない。目の前のものに一切の関心を失った、醒め切った声音だった。真樹夫が踵を返そうとする。まるで小山なんて初めからこの場にいなかったかのように背を向けようとする。途端、堪え難いほどの恐怖に駆られた。この人に見捨てられたくない。呆れられたくない。咄嗟に真樹夫の手首を掴んで、縺れる舌で必死に声をあげた。
 
 
「ま、…待って、ください…!」
「お前ができないなら、他の奴にやらせるだけだ」
 
 
 まるで見切りをつけるような寒々とした声音に、心臓が凍り付く。小山を見下ろす真樹夫の眼差しは、まるで興味がなくなった玩具を眺めているかのようだ。他の奴って、そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。真樹夫の犬は自分なのに。自分のはずなのに。
 
 
「で、きます…。できます、から……行かないでください…」
 
 
 犬が懇願する。見上げる哀れな眼差しに、真樹夫はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
 
 
「俺の命令に、二度と躊躇うな」
 
 
 次躊躇ったら手前なんか捨てるぞ、と言われている気がした。こくこくと何度も頷いて、真樹夫の手首を握り締める手に力を込める。この手を放したくない。一分一秒でも長く傍にいさせて欲しい。そのためなら何だって出来る。
 
 
「やれ」
 
 
 簡潔な真樹夫の命令に、皮膚が戦慄く。一瞬だけ真樹夫の顔を見上げて、それから膝まずくようにして白濁に濡れた掌へと唇を寄せた。青臭い臭いが鼻をつく。自分のものだと解っていても、生理的な嫌悪を感じる臭いだ。ぎゅっと目を閉じて、伸ばした舌でぺちゃりと主人の手を汚す白濁を舐め取る。途端、舌先に広がった苦味に咽喉がぎゅうっと萎縮した。
 
 
「ゥ…う゛ぇ……」
 
 
 堪えようにもえずく声が咽喉から漏れる。咥内の粘膜にこびり付く青臭い味に、吐き気が込み上げる。粘着いて、ずっしりと重たく感じる液体が舌と咽喉に纏わり付く。眉間にぐっと皺が寄って、呑み込めない唾液がだらだらと口角から溢れ出す。
 
 自分の精液の味なんか知りたくもない。口に含みたいだなんて死んだって思わない。だけど、これが真樹夫の命令なんだと思えば、ただ耐えるしかなかった。犬の粗相で汚れた後始末は、犬自身がするしかない。
 
 
「指」
「ふぁい…」
 
 
 言われるがままに白濁を滴らせる指先を口に含む。粘膜にべったりと貼り付く気味の悪い味に、眼球から涙が滲む。阿呆の一つ覚えのように真樹夫の人差し指をぺちゃぺちゃと舐めていると、咥内で人差し指が動く感触があった。舌を弄られて、上顎を淡くくすぐられる。くすぐったさにも似た感触に、小山は鼻から抜けるような息を漏らした。
 
 
「ン…んっ…」
 
 
 抜けた左奥歯の窪みをぐりぐりと爪先で抉られる。その痛むず痒さに似た感覚に、皮膚がふるふると細かく震えた。唾液と精液でぐちゃぐちゃに溶けた咥内を、指先で嬲られる。飼い主の指先一つで容易く翻弄される。閉じていた目を薄らと開いて真樹夫を見上げた瞬間、小山は息を呑んだ。
 
 真樹夫は微笑んでいる。この上なく嬉しそうに、まるでお気に入りの玩具を買って貰った子供のように。
 
 その表情を見た瞬間、身体の奥深くに火が灯った。全身が総毛立って、血液が沸騰するのを感じた。下腹部が脈打つ。確かに、この瞬間小山は発情していた。
 
 
「美味いか?」
 
 
 戯れのように吐かれる言葉。本当だったら美味いわけがないと否定していただろう。だが、不思議なことに、そう問われた瞬間、咥内に広がっていた苦味が消えた。まるで飴でもしゃぶっているかのように微かな甘味すら感じ始める。
 
 
「うま、…ぃ、れす…」
 
 
 夢見心地に答えて、真樹夫の人差し指にきつく吸い付く。途端、主人が微かな笑い声を立てた。空気を震わす隠微な笑い声に、項の産毛がぞわりと逆立つ。
 
 嫌悪が興奮へと、苦痛が快楽へとゆっくりと変換されていく。指だけでは足りなくて、指の股や手首の方まで舌をそろそろと這わせる。ぺちゃぺちゃと音を立てて、掌の皺も、手首の血管も、真樹夫の手が唾液で濡れそぼるほどに舐めしゃぶる。欲深な犬の様子を、主人が何処か長閑な眼差しで眺めている。
 
 夢中だった。滑稽なぐらい必死だった。制御不可能なほどに、真樹夫の手を舐めることしか考えられなくなる。知らず息が荒げて、下半身が脈打ち始めた。自分が勃起していた事に気付いたのは、真樹夫の足によって性器が踏み付けられた時だ。
 
 
「ィ、ぎ…ッ!」
「自分のザーメン舐めて勃たせてんじゃねぇよ、変態犬が」
 
 
 その声音に、冷水でも浴びせられたように一気に鳥肌が浮かび上がる。見上げると、真樹夫の唇が左右に引き裂かれているのが暗闇に見えた。愉しげで、残酷な笑顔。
 
 踏み付けられた性器がぐりぐりと踵で踏みにじられる。膨らんだ睾丸が潰される痛みに、小山はとっさに上半身を丸めた。
 
 
「ィッ、…いだ、ァ゛…!」
 
 
 悲鳴をあげて、足から逃れようと腰を引く。すると、叱り付けるように短い前髪を鷲掴まれた。髪の毛が抜けるのも構わず、無理矢理顔を上げさせられる。涙で滲んだ視界に見えるのは主人の優しげな表情だ。
 
 
「足でイカせてやろうか?」
 
 
 柔らかい声音で問い掛けられる。主人の口元は笑っているが、その目は笑っていない。その温度差にヒクリと皮膚が戦慄く。ぎこちなく首を左右に振ると、真樹夫はやんわりと目を細めた。
 
 
「なら、尻を犯してイカしてやろうか?」
 
 
 穏やかな声音。だがその声の底には、コールタールのように重く粘着いた欲望が潜んでいた。小山は、とっさに息を呑んだ。真樹夫の瞳を凝視する。その眼球の奥に見えるのは、紛れもない雄の肉欲だった。支配欲にも似た、獣の衝動だ。
 
 唇が震える。一瞬で咽喉が干上がったようにカラカラに乾いた。皮膚に滲んでいた油汗が冷汗へと変わる。全身に満ちたのは紛れもない恐怖だ。
 
 
 とうとうこの時が来たんだと思った。これがきっと小山にとって最初で最後の選択肢だ。それを選べば、もう戻れない。ただ、真樹夫さん真樹夫さんと馬鹿な犬として懐くだけの世界は終わって、この男の雌として生きる人生が始まる。いつ捨てられるかとビクビクしながら毎日を過ごす羽目になる。そうして、捨てられる日がやってきた時、自分はきっと絶望するのだろう。真樹夫に捨てられたら小山には何も残らない。何一つとして。
 
 
 それでも――
 
 
 掌をそっと伸ばす。傲慢で冷酷で、脆くて優しい主人へと。触れた真樹夫の頬は、冷たく強張っていた。指先から真樹夫の微かな怯えが伝わってくる。途端、狂おしいほど愛おしさが込み上げた。
 
 
「おか、してください…」
 
 
 卑猥な懇願。きっと古臭いポルノビデオだってこんな台詞言いやしない。それなのに、神様に祈るような気持ちで囁いた。
 
 
――それでもいい。それでいい。いつか、この人に捨てられて、泣いて絶望しても構わない。最初と同じようにゴミ捨て場に放り出されてもいい。汚い犬だと蔑まれて、唾を吐き掛けられてもいい。たった一瞬だけでも真樹夫に必要とされる瞬間があるのなら、残りの人生すべてを捨てても構わない。
 
 
 ぼろりと涙が零れる。後悔の涙ではない。これは歓喜の涙なんだと思った。この人に触れて貰えるのが、ただただ嬉しかった。温かい幸福に心臓が満ち溢れている。
 
 
「どうして、泣く」
 
 
 真樹夫らしくない困惑の声に、小山は泣きながら笑った。へらっと馬鹿っぽい笑みを返す。
 
 
「うれしい、です」
「嬉しい?」
 
 
 真樹夫が訝しげに目を細める。小山は更に笑みを深めた。真樹夫の掌を掴んで、その甲へと祈るように額を押し当てる。そのまま、小さく呟いた。
 
 
「真樹夫さん、俺がジャマになったら、いつ捨ててもいいですから」
「何、言ってやがる」
「今までの女の人達みたいに捨てられても、俺、真樹夫さんのこと恨んだりしません。泣き喚いたり、鬱陶しく縋り付いたりしないように、しますから」
 
 
 真樹夫が一番嫌いなのはウザったい女だ。今まで真樹夫に捨てられた女が泣き喚いて、真樹夫に対して恨み言を吐き捨てるのを小山は何度も聞いている。そうして、そんな女達を心底鬱陶しそうに眺める真樹夫の眼差しも。
 
 だから、自分が捨てられる時は黙って消えようと思った。真樹夫の不利益にならないよう、真樹夫にとって煩わしい存在にならないよう。それが真樹夫にとって一番望ましい犬の在り方だと信じていた。
 
 
 だが、小山の必死さに反して、真樹夫は愕然とした表情を浮かべている。まるで信じられないものでも見るかのように、見開かれた瞳は小山を凝視していた。
 
 
「お前、は」
「俺の全部、真樹夫さんのものですから」
 
 
 だから、要らなくなったら捨ててもいいんです、と続ける。真樹夫に必要とされなくなった時点で小山は単なるゴミに戻る。ゴミ捨て場にうずくまる、シンナー狂いのヤンキーへと。そこには悲愴さも自虐的思考もない。それは小山の過去で、そしていつか訪れる未来だ。そんな未来に小山は疑問を持たなかった。
 
 
 それなのに、真樹夫の表情は歪んでいくばかりだ。まるで苦痛に耐えるような表情に息が詰まる。数秒の沈黙の後、真樹夫が呻くように呟いた。
 
 
「お前は馬鹿だ」
 
 
 真樹夫がよろよろと畳に膝をつく。頬をゆるりと撫でると、真樹夫が泣き出しそうな表情で小山を見つめた。
 
 
「…俺が好きか?」
「はい、すきです」
 
 
 迷わず答える。それなのに、真樹夫の顔は更に悲しげに歪んでいく。その理由を知りたくて、問いかけようと開いかけた唇に真樹夫の唇が重なった。荒々しく乱すような口付けに、問い掛けも疑問も呑み込まれていく。
 
 首筋に腕を回すと、真樹夫が何事か小さく囁いた。だが、何を言っているのか小山の耳には届かなかった。
 
 

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Published in touch'ボコ題

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