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09 抵抗する(1)

 
 真昼の葬儀から一週間ほど過ぎて、ようやく吾妻の屋敷は以前と同じ静けさを取り戻してきた。組の頭がすげ変わってしまったというのに、誰もがその事に触れようとはせず、表面的には長閑とも思える空気が漂っている。
 
 組員達は変わらず、毎日債権の取立に励み、幹部のために車を回し、兄貴分から殴られないように隅々まで屋敷を磨いている。だが、その何百もの目は、組の行く末をじっと水面下で窺っていた。誰に付けば最も利益が得られるのか、逆に誰に付いてしまえば自分の命が危うくなるか。誰もが言外に測っているようだった。
 
 真樹夫は、今はただ組内の様子を静観しているようだった。それは新たに組長となった真澄、そして組長の座を奪われた将真も同じだった。表立っては動こうとはせず、吾妻の三兄弟は、以前と同じように危うい拮抗状態を保っている。
 
 表面的には穏やかで、裏では何とも言えない不穏な空気が流れている。それが今の屋敷の現状だった。
 
 
 
***
 
 
 
 足が痺れてきた。一時間前から折り畳みっぱなしの両足がピリピリと痛みにも似た痺れを発している。足をもぞつかせないよう堪えながら、小山は伏せていた視線を気付かれないようにそっと持ち上げた。
 
 目の前には、背筋を真っ直ぐ伸ばして正座をした真樹夫が座っている。真樹夫と向かい合うように座っているのは、茅野組の組長だ。真樹夫の婚約者の父親でもある。
 
 
「喪もあけない内に物騒な話とは、随分と切羽詰まってますね」
 
 
 真樹夫が片手で黒ネクタイをいじりながら、何でもないような口調で呟く。その声音に一瞬茅野組長は眉根を顰めたが、結局意を決したように口を開いた。
 
 
「以前話した幌田組の話なんですが、まだうちのシマに入っているようでして。その上、うちが管轄している店を使って、裏で銃の売買もしているという噂も流れております」
「噂? 確証はないということですか?」
 
 
 噂、という一言に、真樹夫が厳しい声を漏らす。途端、茅野組長の身体が僅かにだが強張ったように見えた。
 
 
「確証はありませんが、うちの組員の数人が幌田の組員の姿を見たと…」
「茅野さん、うちは警察じゃないんです。警察であれば怪しい男がうろうろしてたいう話を聞いたら、そりゃ警戒でも警備でもしてくれますわ。でも、うちは腐っても営利団体なんですよ。証拠もない、シャブ中組員の証言だけで『親』を動かそうなんて、そりゃ都合が良すぎやしませんか?」
 
 
 畳かけるような真樹夫の言葉に、茅野組長がぐぐっと言葉を咽喉に詰まらせる。
 
 
「自分のシマのことは自分で片付けて下さい。それが出来ないなら、別の輩が取って代わるだけだ。幌田だろうが、他の組だろうが、吾妻組は一向に構いませんしね」
 
 
 普段の真樹夫ならここまで言わない。もっと飄々とした態度で、茅野の弱気を聞き流すはずだ。それが出来ないのは、やはり真昼の死と、吾妻組の土壌が根底から揺らいでいることが原因だろう。
 
 
「真樹夫君、その言い方はないんじゃないか。茅野組が何十年吾妻組のために尽力してきたか、それを知らない訳ではないだろう」
 
 
 明らかに怒気を帯びた茅野組長の声に、真樹夫は相変わらず冷然とした眼差しを向けた。
 
 
「勿論、存じ上げております。貴方に対する敬意もあります。ですが、信憑性のない噂話で『親』を脅かす『子』に対しては、少しずつ『親』の愛情も薄れていくということも覚えておいて下さい」
 
 
 淡々と言い放つと、真樹夫は真っ直ぐに茅野組長を見据えた。
 
 
「証言よりも確実な物証を。現場の映像を撮るなり、幌田の組員捕まえてくるなり、方法は幾らでもあります。茅野さん、俺が一番嫌いなのはね『情』で他人を動かそうとする事なんですよ。もうヤクザが義理人情だけで生きれる時代じゃねぇんですから」
 
 
 冷たく言い放って、真樹夫がすっと立ち上がる。それに続くように、小山も慌てて立ち上がった。だが、慣れない正座をしていたせいか、立ち上がった拍子に身体が不安定によろける。畳に倒れそうになった瞬間、腕を掴まれた。はっと顔を上げると、どこか苦笑いを浮かべた真樹夫と目が合った。
 
 
「阿呆が」
 
 
 それは怒っているというよりも、犬の粗相を面白がっているような声に聞こえた。
 
 
「す、すんません」
「ええけ、はよ来い」
 
 
 いつも通りの真樹夫の喋り方に戻っている。そのことに、なぜだか酷くほっとした。痺れる足を無理矢理動かして、部屋から出て行く真樹夫の後について行く。
 
 部屋から出る際に振り返ると、茅野組長の拳が膝の上でぶるぶると微かに震えているのが見えた。その光景を頭の隅に留めておく。
 
 
「あの…真樹夫さん、茅野組長あんなに怒らせてよかったんっすか?」
 
 
 廊下を暫く歩いたところで問い掛けると、真樹夫は振り返りもせずに言った。
 
 
「構わん」
「はぁ…」
「主人のやることに口出すんが犬の仕事か?」
 
 
 煮え切らない返事を返したせいだろうか、真樹夫が冷たい声で問いかけてくる。その声音に、一気に全身が強張った。
 
 
「…すんません。出過ぎたことを言いました」
「解ったならええ」
 
 
 相変わらず温度のない真樹夫の声音に、微かに眼底が湿り気を帯びる。自分が無意識にうなだれているのが判る。完全にご主人様に叱られた犬そのものだ。
 
 とぼとぼと歩いていると、不意に真樹夫が立ち止まった。くるりと半回転して、落ち込んだ小山の顔を見つめてくる。
 
 
「こんぐらいで、しょぼくれんなや」
「…はい、すんません」
 
 
 謝罪だけを力なく零す小山の様子に、真樹夫がぐしゃりと自分の髪の毛を鷲掴む。その姿は苛立っているようにも、困り果てているようにも見えた。大きく溜息を吐き出した後、真樹夫が口を開く。
 
 
「茅野は傾きかけとる」
「え」
「とっくに金策が尽きとるんや。今は情と暴力だけで金が回る世の中やない。脳味噌働かして法の裏を掻い潜らにゃ金は稼げん。それなのに茅野だけは昔の遣り方のまんまで変わろうとせん。今はまだ昔の名誉だけで組の体裁を保っとるが、それももう長うない」
「それは、茅野組を見放すってことっすか?」
「見放したりはせん。腹が立つが、あの男が言うとおり茅野が何十年も吾妻を支えたんは確かや。義理やないが、ここまで吾妻に尽くした組を金を稼げんいう理由だけで切り捨てたら、逆に他の組からも反感こうて吾妻が引きずり落とされる可能性もある。今は特に他の組から狙われやすい時期やからな」
 
 
 狙われやすい時期という言葉に、ふっと真樹夫の弟の姿が思い浮かんだ。疎まれ者の三男が組長になり、兄弟間で内部分裂を起こしそうな現状。他の組が狙うには打ってつけだ。
 
 
「解ったか。お前は要らんこと考えんで、俺に付いてきとったらええ」
 
 
 そう言い放つと、真樹夫は小山の頭を軽く叩いた。痛みも感じないぐらい、戯れるような小突きだ。その仕草に、言葉にされない真樹夫の優しさが滲んでいるように思えた。
 
 
「はい、俺は真樹夫さんについて行きます」
 
 
 答えると、真樹夫は一瞬だけ目を細めた。だが、何も言わずに再び背を向けて歩き出す。その後ろ姿を追いかけながらも、小山は頭にぽつりと浮かび上がった疑問を反芻せずにはいられなかった。
 
 
『じゃあ、奈美さんとの婚約はどうなるんですか? どうするんですか?』
 
 
 答えは解ってる。先代が決めた婚約を一方的に破棄する事は許されない。逆に切り捨てることもできない茅野組を立て直すためには、真樹夫が奈美と結婚して茅野組を掌握するのが一番手っ取り早い。真樹夫が奈美と結婚する事実は揺らがない。
 
 そんなことは小山でも理解できる。そして、その疑問を口に出す権利が自分にないことも。小山に出来るのは、ただ、どんな結末が訪れようとも真樹夫の犬として従順に付き従うことだけだ。
 
 

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Published in touch'ボコ題

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