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09 抵抗する(2)

 
 真樹夫がタクシーを呼べと言ったのは一時間前だ。タクシーの後部座席に生真面目に背筋を伸ばして座ったまま、小山はちらりと横目で真樹夫を見遣った。真樹夫は携帯をいじったまま、小山を見ようともしない。
 
 
「あの…」
「なんや」
 
 
 戸惑った声をあげると、即座に問いかけられる。真樹夫の目が小山を見ている。その目に何も言えなくなり、小山はもごもごと口を蠢かせた。
 
 
「すんません、何でもないっす…」
 
 
 結局濁すように呟くと、背を後部座席に埋めていた真樹夫がぐっと身を乗り出すようにして小山の顔を覗き込んできた。
 
 
「顔に書いてある」
「へ?」
「どこ行くんですか? 組の車じゃなくて、何でタクシーなんですか? その上、何でこんな格好しなくちゃなんねぇんですか? ってな」
 
 
 真樹夫が指先で小山の服を摘む。摘まれているのは、何の変哲もないパーカーだ。若者が好きそうなアメリカのキャラクターの絵が描かれた白パーカーに腰ばきのデニム。ヤンキースのロゴが入った野球帽。その上、小山の顔にはベタベタに湿布やら絆創膏が所狭しと貼られている。
 
 それに対して、真樹夫は洒落たスーツを身に纏っていた。いつものヤクザらしい黒スーツではなく、ビジネスマンっぽい灰色のスーツだ。そして、目元には分厚い黒縁の眼鏡を掛けていた。
 
 眼鏡の奥で、真樹夫が目を細めて笑う。物言いたげな小山の額を指先で弾いて、真樹夫は再び後部座席にぼふっと背を埋めた。
 
 
「お前は何も考えんでええ言うたやろうが」
 
 
 その言葉に、口を開かず頷きだけを返す。でも、頭の隅でちらりと考えるのを止めずにいられない。きっと本当に何も考えなかったら、きっと真樹夫を守れない。
 
 
 数十分後、タクシーが目的地に付いたようだった。多めの料金を渡して、タクシーから降りる。目の前の建物を見て、小山はあんぐりと口を開いた。
 
 
「ま、まき…」
「行くで。口チャックしとけ」
 
 
 歩きしなに頬をぎゅっと抓られる。いぎっと小さく呻くと、すぐに手は離れた。
 
 三階にその事務所はあるようだった。細く急な階段を登っていく。すぐにカチコミ用だなと思った。人一人しか通れない階段は、カチコミの時に相手側にとって不利な状況をもたらす。
 
 三階事務所の前には、図体のでかい男が一人立っていた。両手は背後に回されているが判る。見えないその手に握られているのは、十中八九銃だ。更に扉の前には、当たり前のように監視カメラが設置されている。
 
 真樹夫は銃の存在に気付かないフリをして、にこやかに見張り番へと話しかけた。
 
 
「突然で恐れ入りますが、代表の方はいらっしゃいますか」
「どちら様ですか」
「あぁ、申し遅れました。私、こういう者でございます」
 
 
 真樹夫が滑らかな仕草で、胸元から名刺を一枚取り出す。ちらりと見えた名刺には『立花弁護士事務所 弁護士 原田孝作』と書かれていた。上質紙を使った上等な名刺で、事務所のロゴマークが金箔で入っている。
 
 差し出された名刺をちらと見ると、見張り番は微かに唇の端を歪ませた。
 
 
「弁護士事務所の先生がどういったご用でしょうか」
「ええ、それがですね、ここにおります私のクライアントが先日御社の社員の方に暴行を受けたようなのです」
 
 
 クライアントと言いながら、真樹夫が小山へとちらと視線を寄越す。途端、見張り番が小山の顔を凝視してきた。湿布や絆創膏がべたべたに貼られた小山の顔を見ると、見張り番は露骨に顔を歪めた。
 
 
「我が社の者が、そのような暴行をしたとは信じられませんが」
「ええ、ええ、勿論です。幌田開発有限会社さんは鉄鋼事業によって地域活性にも貢献して下さって、納税もきちんとされてらっしゃる誇るべき優良企業です。私も信じられない思いでいっぱいですが、クライアントの証言も勿論ありますので……今回はどうか代表の方とお話をさせて頂けないかと伺った次第です」
 
 
 よくもまあ噛みもせずに、こんな嘘をペラペラと喋れるものだ。腰を低くして喋る真樹夫からは、普段の傲岸さは全く感じられない。
 
 
「そんなことを言われましても、代表に会わせるわけには――」
「クライアントは暴行を受けた際に、歯を二本も折られているんです! 御社の社員の方がよく行かれるというクラブマーメイドで肩がぶつかったと言いがかりを付けられて! 見て下さい、この痛々しい顔を! 歯を二本も失って、クライアントがどれほど辛い思いをしたことか…!」
 
 
 煮え切らない見張り番の様子に、真樹夫が断固抗議するように高らかな声をあげる。下顎を片手で掴まれて、無理矢理に口を開かされる。勿論、開いた口には前歯が二本抜けている。だが、それをやったのは紛れもなく今下顎を掴んでいる男だ。
 
 見張り番は困惑したように微かに眉尻を下げている。それでも、扉の前からどかないのだから中々胆力がある。
 
 
「大きな声を出すのは止めて下さい」
「いいえ、いいえ! 代表の方とお話ができるまで、私共は帰りません! 何のやましいこともないのであれば、追い返す必要はないはずです! 逆にやましいからこそ――」
 
 
 不意に、熱弁を振るう真樹夫の声を遮るように扉が開いた。扉を開いたのは、背の高い男だ。三十代前半だろう、濡れ羽のような艶やかな黒髪の美丈夫だ。感情の伺えない、暗い目をしている。
 
 
「中へどうぞ」
 
 
 掠れたというよりも、潰れた声だった。よく見ると、咽喉に大きな傷がある。真一文字の傷口に向かって、咽喉の皮膚が歪に引っ張られていた。それが事故なのか他者によるものなのかは区別が付かない。
 
 
「会長は本日不在しておりますので、私が話をお伺いいたします」
「失礼ですが、貴方は?」
「専務取締役の幌田政臣です」
 
 
 名前に覚えがある。幌田政臣は、幌田組の若頭だ。数年前に抗争で撃たれてから身体を壊しがちになった組長の代わりに幌田組を仕切る、実質の支配者。幌田政臣が組を任されてから、幌田組は急速に力をつけていっている。
 
 幌田に案内されるままに、事務所の中へと進む。事務所の中は、ヤクザの溜まり場とは思えぬほど綺麗に整頓されていた。パソコンの前でスーツを着た組員たちが真面目そうにキーボードを叩いているのが見える。
 
 だが、目は画面へと向けられながらも、意識は確実に真樹夫と小山へと向かっていた。見えない視線が皮膚へと突き刺さる。攻撃的まではいかないが、不信感と警戒心が混ざり合った獣の眼差しだ。何か起こせば、いつでもお前達の息の根を止めるという無言の威圧。見た目でごまかしても、その視線だけで堅気ではないことが判る。
 
 会議室へと通される。三人同時に革張りのソファへと腰を下ろしたところで、幌田が口を開いた。
 
 
「どういうつもりでしょうか?」
「どういうつもり?」
 
 
 白を切るように真樹夫が首を傾げる。だが、幌田はちらりとも笑顔を浮かべず、ゆっくりと目を細めた。
 
 
「吾妻真樹夫さん、その下手な変装を止めたらどうですか?」
 
 
 真樹夫の名前を口に出されたことに、小山は一瞬肩を震わせた。咄嗟にポケットへと手を伸ばし掛けた小山を、真樹夫が腕を掴んで封じる。
 
 
「おぉ、下手とはよう言うてくれるな」
「私に気付かれるのは計算づくでしょう。変装までして、うちの事務所に来た理由は何ですか」
「はは、直球やな。随分と遊びの知らん会話をする」
「生憎、ガキの頃から遊ぶ時間はありませんでしたので」
「ヤクザの子供だったからか?」
「貴方も同じはずです」
 
 
 幌田の言葉に、真樹夫が口元に薄い笑みを浮かべる。そうして、いい加減な仕草で眼鏡を小山の膝へと放り投げると、その手でネクタイを雑に緩めた。
 
 
「俺がここに来た事を知られたら、益になる事よりも損になる事の方が多い。それは俺だけやなくて、あんたもそうやろ?」
「とんだとばっちりです。うちが真澄さんを裏切って真樹夫さんに付くなんて噂でも広がったら、うちみたいな弱小は他の組から狙い打ちされます」
「ほやから、わざわざこんなダッサイ変装までして来てやったんやろうが」
「恩に着せるような言い方をしないで頂きたい。そもそも貴方が来ること自体がうちにとっては災厄なんです。なぜ来たんですか」
「そうやな……犬の散歩?」
 
 
 真樹夫が小山を指さしながら、戯れるように言う。だが、それに対して、幌田は間髪入れずに吐き捨てた。
 
 
「笑えないジョークで笑うのは苦痛です」
 
 
 随分と歯に絹きせぬ言い方をする。紛いなりにも直属の組の若頭相手だというのに。だが、ちらりとも表情を変えずに毒を吐く幌田の様子を真樹夫は気に入ったようだった。ふはは、と腹を抱えて笑う。
 
 
「あんたはストレートしか知らんのんやな。カーブやらフォークは?」
「野球は嫌いです。延長戦のせいで、いつも見たい番組が潰されてきましたから」
 
 
 それは幌田なりの冗句だろうか。無表情のせいで、それが冗句なのかただの本音なのか区別が付かない。
 
 目を白黒させる小山を見て、幌田が怪訝そうな顔をする。
 
 
「それは?」
「やから、俺の犬や。ほら、挨拶しい」
 
 
 真樹夫が小山の頭を軽く小突く。促されるようにして、小山は幌田へと頭を下げた。
 
 
「はじめまして、真樹夫さんの犬です」
 
 
 そう名乗ると、途端真樹夫が噴き出した。笑い声を耐えるように、口元を掌で覆っているのが見える。幌田は相変わらず訳がわからないといった表情で小山をじっと眺めていた。
 
 
「この男は馬鹿なんですか?」
「あぁ、可愛い駄犬やろ」
 
 
 親馬鹿じみた真樹夫の言葉に、幌田は呆れたように溜息を漏らした。
 
 
「犬の散歩ついでに、来たら“ヒリ付く”組にわざわざ立ち寄ったと?」
「まぁ、そうやな。ついでにあんたんとこの犬が人様の庭をうろついとるっつう噂を確かめに来たんやけどなぁ」
 
 
 ひくりと皮膚がざわついた。幌田の眼差しに一瞬滲んだ敵愾心のせいだ。背をだらしなくソファに埋める真樹夫に対して、小山は前に身を乗り出していた。この態勢なら、いつでも真樹夫の盾になれる。
 
 
「うちのもんが他の組のシマを荒らしてると言いたいんですか?」
「真偽は知らん。やけぇ、本人の口から聞きに来た」
「私が『やっていない』と言えば信じると?」
「聞くのと信じるのは全くの別もんや。当たり前やろ」
「ならば何をいっても無駄では?」
「この世の中で無駄なもんは一つもないんやで。人間やって髪から骨まで全部活用できる。それと一緒や」
「滅茶苦茶な理論だ」
「理論やない真理や。で、しとらんのか?」
「私は命じていない。他人のシマを荒らすような組員は幌田にはいない。その前にブチ殺してる」
 
 
 幌田の言葉に、真樹夫は興味なさそうに「ほうか」と呟いた。首を真横に傾けて、まるで昨日の献立でも訊ねるかのような口調で問い掛ける。
 
 
「なぁ、あんたは自分がヤクザに向いとると思うか?」
「愚問です」
「愚問か」
「生きている間は、やるべきことをやるだけです。それはそこの犬も同じでしょう」
 
 
 不意に視線を投げられて、小山は困惑したように視線を真樹夫へと向けた。真樹夫は小山をじっと見ている。
 
 
「俺は…真樹夫さんに従うだけです」
 
 
 真樹夫を見つめたまま、そう呟く。途端、真樹夫の口元に何とも言えない笑みが滲んだ。嬉しげとも違う、悲しいとも、切ないという言葉が一番当てはまるような淡い笑みだった。
 
 
「ええ子や」
 
 
 なぜだろう、誉められているのに寂しかった。途方もなく広い場所で迷子になったような気分だった。
 
 真樹夫が勢いをつけてソファから立ち上がる。小山の膝からひょいと伊達眼鏡を拾い上げると、目元に掛けながら呟いた。
 
 
「あんたらが荒らしとるいう噂が立っとるんは茅野組のシマや」
「それを何故私に教えるんです」
「牽制や。食える思うても絶対に食うな」
「食ったらどうなりますか?」
「俺が食い殺す」
 
 
 真樹夫がまるでワニの真似でもするように歯をカチカチと鳴らす。とぼけた仕草をしながら、真樹夫は小さく声を上げて笑った。その笑い声は、微かに冷たく、背筋を通り抜ける。
 
 
「あと、銃の売買も程々にせぇよ。度が過ぎたら、幌田の倉庫に火ぃ付けるで」
「うちの倉庫の場所を知っているのですか」
「二箇所だけな。それ以上は知らん」
 
 
 二箇所だけでも大損害だろうに、真樹夫が煙に巻くように肩を竦める。その仕草を見て、幌田は微か苦笑じみた笑みを滲ませた。この男も笑えるんだ、と小山は目を丸くした。
 
 
「それは…肝に銘じておきます」
「ええ返事や」
 
 
 会議室の扉を開くと、真樹夫はこれ見よがしな大声でこう言った。
 
 
「私どもの勘違いで、お時間取らせて誠に申し訳ございませんでした!」
 
 

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